ペナントレースも開幕してまもなく1ヶ月が経とうとする中、今年のプロ野球で大きく成長を見せている投手がいます。阪神・及川 雅貴投手(横浜)です。記者を始めてから横浜高校の左投手をずっと見てきました。数多くの逸材の中で、及川投手は最も球が速い左のパワーピッチャーです。
プロでは中継ぎに定着した及川投手は18日まで8試合を投げて、防御率0.00、10奪三振と投球回以上の三振を奪っており、さらに与四球はわずか1と高校時代に課題だった制球力を大きく改善しています。そんな及川投手の高校時代を振り返っていきたいと思います。
苦しい時期が続きながらも2年春に覚醒!140キロ後半の速球を連発
及川投手は千葉県の匝瑳シニア出身。筆者の地元に近い中学硬式チームで、たびたびその名を聞いていました。中学の時点で140キロ近い速球を投げ込み、オリックス・宮城 大弥投手(興南)らとともにU-15代表にも選出され、民放のスーパー中学生特集に組まれるなど、傑出した才能を発揮していました。
しかし高校のレベルは高く、1年春からベンチ入りしていましたが、打ち込まれてしまいます。140キロは出ていても高めに浮いたボールが打ち返される試合が続いていました。
そんな及川投手のイメージを一変させる試合がありました。2年春(18年)の横浜創学館戦で2番手として登板した及川投手はこの試合で最速149キロをマークしました。試合が行われた保土ヶ谷球場は18年からスピードガンが設置され、及川投手の球速が表示されると、スタンドが大きくざわめいていたことを思い出します。
常時140キロ台後半の速球、130キロ近い高速スライダーはネット裏から見ていても強烈な威力を感じました。順調にいけば、19年の高校生を代表する左腕になるだろうと思いながら見ていました。
それからの及川投手の投球は制球が乱れそうな危うさはありながらも、切れのあるスライダーで三振を奪う投球が光りました。エースとなった2年秋は県大会優勝で関東大会出場を決めます。
山梨で行われた関東大会では及川投手はさらにパワーアップしていました。持参していたスピードガンでも150キロをたびたび記録しており、平均球速は着実に上がっていました。初戦の甲府工戦では6四球を出しながらも、8回9奪三振、2失点の力投で、初戦突破。準々決勝では村田 賢一投手(ソフトバンク)擁する春日部共栄と対戦しましたが、初回に三者連続四球で満塁のピンチを招いて、走者一掃の三塁打を打たれたり、村田選手から本塁打を打たれるなど、3回途中まで投げて、2本塁打5失点と炎上。チームもコールド負けを喫しました。
関東大会準々決勝でコールド負けを喫し、センバツは厳しいという見方が多かったですが、秋の都大会準優勝・東海大菅生との選考争いを制して、関東・東京6枠目で出場が決まりました。選出理由として及川投手の奪三振が評価されたといいます。2年秋の公式戦では41.1回を投げ、59奪三振と投球回を大きく上回る三振を記録していました。
県大会、関東大会を見てきて、四死球からリズム、フォームを崩して打たれるというケースを見てきたので、かなり不安に思いましたが、選考委員会が期待した方向で動いてくれればと思っていました。しかし甲子園という舞台はそう甘くありませんでした。