2025年4月15日、愛媛県松山市の坊っちゃんスタジアムで行われたヤクルトvs阪神戦。2002年にスタートし、いまや四国の野球好きな人々にとって毎年の恒例行事となっているヤクルト主催試合だ。
昨年この地でNPB史上最年少200号の偉業を打ち立てた村上 宗隆(九州学院)の姿は二軍調整中でみえなかった。開場前に記念碑や着弾点プレートの除幕式も挙行されたが、どこか寂しげだった。だが、それだけではない。もっと本質的なものが足りないのだ。そんなことを思いながら迎えた試合開始直前の国歌斉唱。ここで私たちは否応なく「足りないもの」を実感させられることになる。
一塁側ベンチに並んだヤクルトの選手、コーチングスタッフ、トレーナー。徐々にホーム側へ向かって眺めていくと……髙津 臣吾監督と球団マスコットキャラクター・つばみちゃんの間にはちょうど1人、いや「一燕」分のスペースが空いていた。そう、そこは2月19日に発表された担当者の逝去により現在活動休止中の「つば九郎」がいつもいた場所である。
2月7日に76歳で逝去された衣笠 剛・前代表取締役会長兼オーナー代行が愛媛県大洲市出身だった縁もあり、主催試合の他にも2004年からほぼ毎年秋季キャンプが行われるなど愛媛県・松山市と浅からぬ縁を持つヤクルト。つば九郎も各種行事、事前PR、トークショーなどで数多く松山市を訪れていた。
よって、この地における「つば九郎」のエピソードも神宮球場周辺同様、枚挙にいとまがない。たとえば主催試合の事前PRで某民放局に出演した際には、高校時代に野球部マネージャーを務めていた女性アナウンサーに対し「けっこんしましょう」と冗談を言った(書いた)こともあった。松山一の繁華街・二番町に「よるのぱとろーる」に訪れていた情報も多数寄せられていた。
その一方で新聞社に訪れた際には、サインを求めた社員に即興で似顔絵を書いた上で、サインを変える才覚と優しさも示していた。もちろん坊っちゃんスタジアムでは神宮球場と同じように東京音頭に合わせて踊り、「空中くるりんぱ」でお約束通りに失敗し、坊っちゃんスタジアムを大いに盛り上げてくれた。
昨年はプロ入り初登板で無四球二桁奪三振完封の松本 健吾投手(東海大菅生~亜細亜大~トヨタ自動車)と村上の史上最速200号という、2つの「プロ野球史上初」をヒーローインタビューで祝いつつ、まるで兄弟のように2人に寄り添った。妹であるつばみちゃんのかいがいしく働く姿を見るにつけ、喪失感を禁じ得ない2025年の坊っちゃんスタジアムであった。
でも、きっと彼は何らかの形でいつか坊っちゃんスタジアムに帰ってきてくれるはず。まずは昨年、野志 克仁市長からプレゼントされた「るーびーけん」を存分に使い切って、ゆっくり休んで欲しい。「いままでありがとう。おつかれさま。またね」