名門校にコールド勝利!1つの勝利がチームを飛躍させた 海津明誠(岐阜県)【前編】
昨秋の大会では、西濃地区の最大の壁でもある大垣日大が甲子園出場を果たして予選免除となったということもあったが、一次ブロック予選を1位で通過。さらには、その勢いで県大会も各務原西、大垣西に競り勝ってベスト8入りを果たしている。粘り強い野球を持ち味とする海津明誠を訪ねてみた。
期待値が高い岐阜県屈指の伝統校
海津明誠の選手たち
岐阜県第二の都市で西濃地区では最も栄えている大垣市。『奥の細道』の松尾芭蕉が、「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」と詠んで旅を閉じた地としても知られている。その大垣駅からローカル鉄道の養老鉄道で40分ほど揺られていくと海津市に入り、駒野という沿線では数少ない有人駅に到着する。そこから約2km離れたところに海津高校の校舎とグラウンドがある。
現在の学校の前身となる海津中学は1921(大正10)年に創立しており、間もなく100周年を迎えようとしている。学校の花壇には、それを祝うようにデザインされた花文字が作られていた。
学校の歴史としては、戦後の学制改革で海津女子(旧海津高女)と統合されたり、家政科が独立していた海津北などを再統合して2005(平成17)年に新校として誕生したのが海津明誠だ。
現在は普通科3クラス、情報処理科と生活福祉科がそれぞれ1クラスとなっている。3学年を合わせると550人規模の学校である。
グラウンドは校舎に隣接しているが、「他の部活動があまり活動していないので、ほぼ専用球場みたいなものですね」と岩橋浩二監督は笑う。就任して13年になるが、その間に土入れ作業をしたり、グラウンド整備用のカートを購入したり、手作りでネット裏やブルペンを整備したりということにも取り組んできた。
そうしたことも、地域の中学野球の指導者や野球部などに伝わって、「あそこならば、選手を成長させてくれるだろう」という期待も高くなってきている。だから、積極的に選手たちを送り込んでくれるようになってきた。
グラウンドの左翼は96m、右翼が90mとやや変形だが、中堅も117mくらいあるという広さを有している。十分に試合が組める広さではあるが、周囲の道路へ打球が飛び出してしまうことに配慮して、ホーム上にはネットがかけられている。左右のファウルグラウンドにも打球除けのネットが下げられているので、そこはローカルルールで試合をせざるを得ないという環境だ。とは言うものの、グラウンドのない都会の学校からすれば羨ましい限りであろう。
[page_break:夏の大金星がチームの成長に繋がった]夏の大金星がチームの成長に繋がった
試合に挑む海津明誠の選手たち
海津明誠の名がスポットを浴びたのは一昨年夏の第99回岐阜大会2回戦だった。
春夏28回ずつの甲子園出場を誇り、全国制覇も春夏合わせて4回という県内屈指の名門校県岐阜商にコールド勝ちして、その勢いでベスト8まで進出した時である。
岐阜県の多くの高校野球ファンや関係者は、「当初、9対1というスコアだけを聞いた時には、チーム名が逆なんじゃないかと思った」と言われたくらいに、衝撃だったのだ。そして、その試合で最後に勝利のマウンドにいたのが、当時1年生だった河口善光君である。
「いや、まあ、何となく勝ったなぁと思ったんですけれども、後になって凄いことだったのかなぁと思いました」と、その時は意外とあっさりとしたものだった。
さらに言えば、県岐阜商としては、その敗退の仕方がOBはじめ関係者などの逆鱗に触れたと言われている。そのことが、やがては監督人事にまで影響が及んでしまったという騒ぎになったのである。その切っ掛けを作ったのが海津明誠だったのだ。
また、海津明誠としても、それが一つのステップアップとなっていった。河口君ら当時の1年生たちが中心となって戦った昨年の秋季県大会でもベスト8に進出した。準々決勝では岐阜第一に後半ひっくり返されたものの、前半は対等の戦いだった。そして、リードされても9回に岐阜第一の安定した高倉投手から3点を奪うなど粘りを示すことも出来た。
前編はここまで。後編では海津明誠にある変わった慣習やベスト4以上の結果を残すための課題を伺いました。後編もお楽しみに!
(文・手束 仁)