目次

[1]漂う荘厳さ、温かみ、そして緊張感
[2]「感謝を結果で表す」でつかんだエースの座
[3]頑張りを認め合い、自分の頑張りに変え8年ぶりの栄冠へ

愛すべき仲間たちのため、8年ぶり栄光つかむため、掛ける想い。

 宮崎県立宮崎商業高等学校野球部~1919年の創部以来、これまでに春2回(19661969年)・夏4回(1963196419692008年)の甲子園出場。1964年夏の第46回大会では宮崎県勢初の準決勝まで進み、優勝した高知に0対1で惜敗。後に打者転向し広島東洋カープ・阪急ブレーブスで1522安打。広島東洋カープ・中日ドラゴンズ・阪神タイガースで打撃コーチを歴任・教え子は金本 知憲(現:阪神タイガース監督)、前田 智徳(現:解説者)、中日ドラゴンズでは荒木 雅博、福留 孝介(現:阪神タイガース)ら錚々たるメンバーが名を連ねる水谷 実雄氏を2年生エースに押し立てての奮闘は今も宮崎県民の語り草となっている。

 では、創部97年を迎えた2016年、彼らは何を考え、どこへ進もうとしているのか?大型左腕・赤川 克紀(元・東京ヤクルトスワローズ)を擁し44年ぶり聖地1勝をあげた2008年夏以来、8年ぶりの甲子園を目指す監督・コーチ・選手たちの「掛ける想い」を追う。

漂う荘厳さ、温かみ、そして緊張感

樋渡 祐志監督(県立宮崎商業高等学校)

「私の叔父は野球部ではなかったですが、宮崎商出身で。その時代の主な野球部OBは小川 亨(外野手。立教大~近鉄バファローズで通算1,634安打)さんや、高橋 博士(捕手・南海ホークス~日本ハムファイターズ~ロッテオリオンズで計18年間プレー)さん。その当時の話を聴いて名門だとは解っていたので、最初に異動することが分ったときは『本当に務まるかな』という感じでした」

 宮崎大宮高・宮崎大出身。延岡工宮崎西日南で部長・監督を歴任し、野球部のなかった五ヶ瀬中等教育学校では中学の外部指導員を経て、4年ぶりに高校野球の現場へ復帰。2年目を迎える45歳・樋渡 祐志監督は、昨年4月の就任時の本音をこう話す。

 確かに正面玄関前に立つフェニックスに迎えられ、足を踏み入れた宮崎商グラウンドには伝統校ならではの荘厳さや温かみが漂っている。一塁側ベンチ裏には棚に選手たちのバッグが丁寧に揃えられている一方で、三塁側ベンチ裏の上では宮崎県民の母なる大河・大淀川のほとりでくつろぐ人々がグラウンドを見つめる。事実、副主将の永野 剛伎(3年・一塁手・167センチ72キロ・右投右打・宮崎市立宮崎西中出身)は「幼い時から土手からずっと練習を見ていて、この雰囲気で練習をしているなら必ず甲子園に行けると思って」宮崎商へ進んだ1人だ。

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