目次

[1]チームメイトの一言が仕事の土台となった
[2]野球に代わるものは会社を受け継ぐことだった
[3]3つの信念を貫き、これからも人々を笑顔に

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【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

 アグレッシブ、エネルギー、情熱的――
 今回の取材を通じて感じた印象だった。高校野球屈指の激戦区・千葉県の成田市に本社を構え、主に住宅の販売やリフォーム。増改築・リノベーションといった業務を中心にして展開する株式会社ハウジング重兵衛。創業120年を超える伝統のある企業だ。

 そんな歴史ある会社のかじ取りを任されているのが、6代目となる菅谷重貴社長。高校時代は地元・千葉の佐原で高校野球に打ち込んだ元高校球児だが、高校野球は菅谷社長の中でどんな思い出となっているのだろうか。

チームメイトの一言が仕事の土台となった


 「小さい時から両親が仕事をしている姿を近くで見ていました」という菅谷社長が野球と出会ったのは小学4年生の時。
 「夏になれば水泳、冬は駅伝。また、それ以外にもバスケや陸上など、運動神経が良かったので、色んなことをしていました。そんな中、先輩が野球クラブに入っていたことをきっかけに野球も始めることにしたんです」

 それまで野球との接点はなかったというが、野球にのめり込んでいった菅谷社長は、中学に進学しても部活動で野球を続けた。「がむしゃらにやっていました」と当時を振り返るが、父親譲りの運動神経の良さと、負けん気の強さを前面に出したプレーで、中学時代は主将として県大会まで勝ち進んだ。

 当時を菅谷社長はこのように振り返る。
 「負けず嫌いでしたので、人の上に立って指示を出したり、リーダーシップを発揮するのは好きでした。ただ、自分のことばかりを考えて、チームのことまで考えられていませんでした」

 そんな菅谷社長は、高校で地元の佐原高校への進学を決める。佐原をはじめいくつかの学校から推薦の誘いがあったが、「進学校だったということと、周りからも強く推されて決めました」と佐原へ入学。

 佐原野球部の同級生には、地元でも有名な選手ばかりいた。これには菅谷社長も「このメンバーなら高校野球でも頑張っていけそうだ」と刺激を受けたという。

 「当時は毎日10キロくらい走っていました。今にして思えばあまりいい練習ではないですね(笑)」と笑う菅谷社長だが、練習自体は苦にならなかった。元々、小学生の時に駅伝や陸上などをやっていたこともあり、長距離は得意だった。

 その後、試合に出られるようになったのは2年生になってから。自分たちの代になると、4番サードで試合に出場。打線の中心として佐原の攻撃を支えた。また、身体能力の高さを生かした守備範囲の広さや、強肩を武器にサードとして活躍。

 だが、送球に課題があり、3年春には外野にコンバートとされたものの、このコンバートが菅谷社長にとってはプラスに働いた。
「結果的に外野手となったことで、バッティングに専念することが出来るようになったんです。また、その頃からウエイトトレーニングも始めて、パワーがついたので、ホームランが一気に打てるようになりました」

 そして迎えた最後の夏、佐原は強豪ひしめく中で4回戦まで勝ち上がるが、安房高校に敗れベスト32止まり。あと1つ上位進出とはならなかった。「もう少し上に行きたかった」と語る菅谷社長だが、佐原での3年間は現在の仕事の基盤となったことは間違いない。

 「高校では副主将を務めましたが、中学時代と変わらず自分のことしか考えられない井の中の蛙でした。甲子園に行きたい、1つでも上に行きたいと思ってプレーをしていましたが、ある時、チームメイトから『俺はお前のやり方に我慢しているんだ』と言われたことがありました。その一言をきっかけに、チームに対する意識が変わりました」

 実は菅谷社長は、それまでは先輩とも喧嘩をしてしまうほど、気持ちが前に出過ぎてしまい、自分のことを最優先にするような選手だった。しかし、チームメイトの思いを知り、それからは周りのことを最優先に考えるようになったという。

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