指導歴30年以上の西野 幸雄監督(川崎北)が語る「記憶に残る三塁コーチャー」
昨今は、神奈川県内で強豪私学勢と肩を並べて結果を残す県立川崎北。昨秋の神奈川県大会ではベスト8入りを果たした。その川崎北を牽引するベテラン・西野 幸雄監督。西野監督は、桐蔭学園から日体大を経て、2年間は桐蔭学園でコーチを経験。その後、神奈川県の採用試験に通り、体育科教員として上溝に赴任した。当初は野球部員は人数がぎりぎりということもあり、女子バレーボール部との兼任で野球部を指導していた。
その後は、霧が丘に異動して10年、さらに神奈川工で14年間指導し、04年夏には神奈川大会決勝にまで導いている。毎年部員が100人以上となる大所帯となっていた神奈川工時代には、練習試合用のユニフォームには、全員に背番号をつけさせ、選手名簿も配布して、訪れる人には名前で選手を読んで応援できるように配慮するなど工夫を凝らした。
「部員には、全員それぞれ役割分担があるのだ」という考えに基づいた指導をモットーとしている。13年からは川崎北に赴任。着々と力のあるチームを作り続けている。
西野 幸雄監督が語る一流の控え選手
神奈川工時代を思い出して語る西野 幸雄監督(県立川崎北高等学校)
これは、ボクは今も常々言っているのですけれども、部員が多くいれば、それぞれみんなの役割分担があるということです。そして、自分の役割分担をしっかり理解している選手が、チームにとっては必要な存在だということになるんですね。その中でも三塁コーチャーというのは、大きな役割だと思っています。ボクは選手たちにも常々言っています。
「サードコーチャーは10番目のボジションなんだぞ」
それだけ大事な役割だということです。
夏にベスト8に進めたときだったですね、三塁コーチャー専属として中平という選手を置いたんですよ。最初は、それほど気にはしていなかったんですけれども、大事なところでの判断がほとんどボクと変わらないんですよ。イニングとスコア(得点差)とをしっかりと考えて、打球判断で、勝負するか止めるかというところになるのですけれども、その判断は素晴らしかったですよ。
そして初めてボクも気がついたんですね。
「ああ、こういう選手はチームとしては必ず必要なんだなぁ」
それからですね、三塁コーチャーを意識して固定していこうという考えになったのは…。すると、丁度決勝まで進出できた時でした。今は三菱日立パワーシステムでマネージャーをやっている森脇 慶太という捕手がいた時ですね。その時には上滝という三塁コーチャーを固定していました。これも素晴らしかったですね。
■注目動画
「いつか、僕と戦うかもしれないライバルへ。」
「生きる道は、どこだ。」
三塁コーチャーは、監督の生き写しであってほしい
お互い仲間でありライバルでもある(県立川崎北高等学校)
三塁コーチャーは、監督の生き写しであってほしいと思うことがあるのですが、彼はまさにそんな感じでしたね。後にも先にも、ボクの中では三塁コーチャーとしては、中平と上滝、この二人に匹敵するヤツは現れていません。
残念ながら、まだここ(川崎北)へ来ても、そういう選手は出てきていないですね(苦笑)。今年あたり、出てきてくれるかなと、期待しているところもあるんですがねぇ。
こうした判断というのは、普段のシートバッティングの時にも、コーチャーを置いて磨いていきますね。回す、回さないは点差やイニングを常に考えていて、チームとして今はどういう状況なんだということも理解していないといけませんからね。
中平の場合は、元々はサードだったんですけれども、サードとしてはもう一つパッとしないというところもあって…。最初は深くは考えないでコーチャーとして置いていたんですけれどもね。そこで自分で学んだというか、判断力に優れていたというか、そんな選手だったですね。
スーパーサブということでいえば、丁度、神奈川工で3年目の時でした。代打の切り札的な選手がいました。魚谷といったんですけれども、正直、それほど上手な選手ではなかったですね。それに、こう言ってしまっては何ですが、成績としても、それほどいい選手ではありませんでした。ただ、代打として使っていると、時々よく打つこともあるんですよ。
それで、ある時ふと気がついたんですね。打っているときは、たいてい1球目から振っていった時なんですよ。何球か待って手を出すと、たいていダメでしたね(苦笑)。つまり、何も考えないで振れということなんですよ。夏は代打の切り札にまで成長しましたね。
「オマエは考えてみてもダメだから、考えないで振ってこい」
そんなこと言って送り出していましたけれども、そんな選手も、スーパーサブという存在で印象深かったですね。
これも、数多くいる部員の中での、明確な役割分担だったと思います。
(取材・文=手束 仁)
■注目動画
「いつか、僕と戦うかもしれないライバルへ。」
「生きる道は、どこだ。」