目次

[1]星稜、金沢、遊学館の3強時代から日本航空石川も加わり4校の競い合い
[2]星稜の最大のライバル金沢と新勢力の遊学館

星稜、金沢、遊学館の3強時代から日本航空石川も加わり4校の競い合い


 2017(平成29)年の夏、日本航空石川は5点差を終盤追いつき延長で星稜を下し決勝では遊学館に快勝して8年ぶり2度目の出場を果たす。秋は決勝で星稜日本航空石川に逆転勝ちするものの、その後の北信越大会でも再び決勝で対戦した両校、今度は日本航空石川が10対0と圧勝した。夏は木更津総合に勝ち、明治神宮大会でも日大三を下して、石川県からの新勢力登場ぶりを全国にアピールした。

 18年センバツは星稜も選ばれ石川県からは24年ぶりに2校選出となった。

 70年代半ば以降、石川県の高校野球をリードしてきたのは何といっても星稜だ。タマゴ色のユニホームと青い帽子に「星」のマークは、全国的にもすっかり定着した。その星稜が最初に注目を浴びたのは1976(昭和51)年夏。小松 辰雄投手(中日)を擁して甲子園に登場し石川県勢として初めてのベスト4に進出したときだ。

 次に全国に知られるのは79年夏の3回戦だ。今も語り継がれる箕島との延長18回の死闘である。延長に入って先攻の星稜が2度までもリードしながら、ついに18回裏にサヨナラ負けを喫してしまう。しかも、延長戦での同点劇がことごとく相手の本塁打というのもよりドラマチックだった。黙々と208球を投げて破れた堅田 外司昭投手(その後審判員)には全国のファンが共鳴した。

 そして、星稜が再び全国の注目と同情を集めたのは松井 秀喜(読売→ヤンキースなど)が主将で4番サードとして登場した1992(平成4)年の夏である。2回戦で明徳義塾と当たったが、松井は5打席全部敬遠四球。甲子園の最後の試合は20球を見送るだけで終わってしまった。試合終了後は球場全体がパニック状態になり、まさに甲子園の高校野球としては前代未聞の騒動となった。この出来事が松井選手そのもの評価も高めたが、いろいろな意味で高校野球の球史に残る試合だったといっていいだろう。