目次

[1]恩師も先輩も納得する実力
[2]兄・教明と亜細亜大の存在が成長を促した

兄・教明と亜細亜大の存在が成長を促した



左から高校時代の教明さん、酒井健吉さん、宣浩さん

 1年生ということもあり、松田選手は1つ1つの練習に対しても真剣に取り組んでいた。また先輩たちと体力を比較しても、大きな差はなかった。身体能力も高く、日に日に力を付けていくが、そこには双子の兄としてともに入学した教明さん(元・トヨタ自動車)の存在があった。

 「兄・教明は弟・宣浩よりも注目されていました。投げては140キロを超えるボールを投げますし、足も速い。バッティングでも放物線を描いて飛距離を出すスラッガーでした。身体能力も兄の方が上でした」

 弟・宣浩も小さい時から兄・教明さんと競争し続けてきて敵わないことに気づいていたとのこと。ただ、高校からポジションの違いからあまり比較をしなかったそうだ。

 「兄・教明は投手、弟・宣浩は野手でしたので、練習メニューも練習量も変わりました。兄・教明は投手としてのプロ入りを目指していましたし、チームとしてもピッチャーとして専念してもらっていました。ただ、3年生の時には中心打者としても活躍してもらっていましたが」

 兄・教明とともに甲子園を目指し、1年生から活躍する松田選手だが、捕球体勢に課題があった。腰を落とすことが出来ず、どんな体勢で捕球するのがいいのかを模索することが必要だった。小嶋さんはノックをたくさん打ち、数をこなすことで課題克服を目指した。

 そんな松田選手の成長を追っていく中で、欠かせなかったのが亜細亜大だったと小嶋さんは語る。

 「長期休みを使って亜細亜大へ行っていましたが、1年生の時から上級生とともに連れていっていました。当時の亜細亜大は内田俊雄監督で、内野手として素晴らしい方でしたので、その方から話を聞くのは大きかったんだと思います」

 小嶋さんも新しい指導法や技術を学ぶべく、母校・亜細亜大へ足を運んだが、そこで得たことが松田選手の守備に磨きをかけていき、2年生に進級する時には「これなら大丈夫だろう」と安定した守備力が身についていた。

(記事=編集部)