レイズ移籍の上沢直之と専大松戸の恩師・持丸監督の絆!名将の一言がMLBの道へつながった!【主筆・河嶋宗一コラム『グラカン』vol.3】
専大松戸時代の上沢直之
皆さん、こんにちは!!
『高校野球ドットコム』の河嶋宗一です。私・河嶋が「これまでグラウンドで見てきた感動シーン」(略して『グラカン』)をみなさまにお届けしています!
3回目はレイズ移籍が決まった上沢 直之投手の専大松戸時代を振り返っていきます。
上沢投手は、日本ハムのローテーション投手として活躍し、通算70勝、投球回数1118.1回と在籍12年で、一流投手に相応しい活躍を残しました。千葉の高校野球をずっと見てきている私からすれば、名門と呼ばれ、さらに好投手を次々と輩出する専大松戸の先駆者的な存在だと捉えています。
専大松戸を名門に、上沢投手をプロに送り込んだ持丸監督の存在
母校でもある専大松戸は2015年夏の甲子園初出場から現在まで、夏は計3回、選抜は計2回出場しており、昨秋の関東大会にも出場し、千葉の高校野球をリードしています。
そんな専大松戸を強くして、そして上沢投手をプロ野球に導いたのが持丸 修一監督です。持丸監督は竜ヶ崎一出身で、選手としては1966年夏の甲子園に出場。27歳で母校の監督に就任。1990年夏に甲子園出場。その後、異動した藤代でも甲子園出場に導き、2003年9月には茨城の名門・常総学院の監督に就任し、ここまで3度の甲子園出場に導きます。まさに甲子園請負人である持丸監督が専大松戸の監督に就任したのは2007年12月となります。
当時の専大松戸は2006年にベスト16入りしていますが、2007年夏は初戦敗退に終わり、低迷期に入っていた時期でした。就任して最初の夏は2回戦敗退。そして2009年、上沢投手が入学します。この世代は入学から持丸監督のもとでプレーする節目の世代で本格的に強化をしていました。
上沢投手とともに140キロ台の速球を投げ込む投手として注目された林田 かずな投手(専修大)、スラッガーとして注目された重野 雄一郎外野手(専修大-JR東日本東北)など投打に能力の高い選手が揃っていました。その専大松戸の選手たちのポテンシャルの高さを実感させられたのは、彼らが2年春となった県大会です。
2回戦でセンバツ帰りの東海大望洋(現・東海大市原望洋)と対戦。打線は速球投手の長友 昭憲(東海大-JFE東日本)を攻略し、計9得点。上沢投手は7回12奪三振の快投で、投打ともに東海大望洋を圧倒し、コールド勝ちを収めました。
その時の上沢投手の投球を目の当たりにして、衝撃を受けました。縦振りの投球フォームから繰り出す140キロ台の直球、縦に鋭く落ちる変化球で次々と三振を奪う投球に魅了され、その後も追いかけるようになりました。
上沢投手は千葉の強豪校と名勝負を演じる投球を見せていきます。2年秋には優勝候補・習志野相手に1対0で完封したり、2年夏では初戦で鈴木 康平投手(巨人)擁する千葉明徳と対戦。プロ注目右腕同士の対決に多数の球団スカウト、マスコミが集結したことを覚えています。試合は6対6の引き分け再試合となり、再試合では5対2で勝利しましたが、4回戦の東京学館浦安戦に敗れ、上沢投手は甲子園に出場することなく、夏を終えることになりました。
それでも上沢投手の3年間で専大松戸はかなり地位を高め、常に甲子園を狙える強豪校にステップアップした時期だったと思います。同時に人気も高くなり、優秀な選手が絶え間なく専大松戸の門を叩くことになりました。この世代の成長がなければ強化は順調に進んでいなかったかもしれません。
本人のインタビュー、持丸監督のインタビューで当時の背景を数年経って知る
と、上沢投手の高校時代を書いてきたのですが、実は私、この時はまだ学生。一ファンとして彼の活躍に惹かれていました。
念願叶ったのは2014年。『高校野球ドットコム』の編集部の一員になってから。当時の上沢投手は高卒3年目。先発起用が増え始め、8勝を挙げ、期待の若手として注目される時期でした。私は編集者としてインタビュー企画に携わりました。
このインタビュー記事で上沢投手の原点を知ることができました。小学校時代はサッカー少年で、松戸市立第一中から本格的に野球を始めたため、ルールも詳しくなかったようです。「野球のルールがよくわからなかったんです。フォースプレーとタッチプレーの区別がつかなかったり(笑)。みんなは子どもの時に自然に覚えたことを、中学で学習しなければなりませんでした」
とほほえましいエピソードを語ってくれました。
また、上沢投手は専大松戸に入学した時、持丸監督から「お前はプロになれる」という一言で頑張っていこうと取り組んでいきます。高校3年間で、投手としての技術、心構えを学び、プロ注目投手へ育ちました。
「最も学んだのは自分で考えて取り組むこと。高校時代での取り組みがプロに入って生きている」と語っていました。
このインタビューを読んで、やはり持丸監督に直接会って、取材したいということになり、2016年4月頃に持丸監督にインタビューを行うために専大松戸グラウンドを訪問しました。
持丸監督は上沢投手の素質に惹かれながらも走り方などを見て「野球選手としての基礎が足りない。まずは走り方を直した」そうです。また、変化球を器用に扱える一面がありながらも、「ストレートだけで勝負をさせた」ことを明かしてくれました。
「変化球の割合を増やしたり、かわす投球をさせたら、球数は減っていたかもしれないし、もう少し勝っていたかもしれません。上沢にストレートを磨かせたのは、次のステージで活躍してほしい思いがあったからです。先ほども申しましたようにストレートが絶対ですから。私の指導は甲子園に出場することが全てではありませんからね。次のステージで活躍するために高い技術と強いメンタルを身に付けさせるのがこちらの役割。それにより選手たちが野球でごはんが食べられればと思っています」(持丸監督)
現在、専大松戸出身の投手には高橋 礼投手(巨人)、横山 陸人投手(ロッテ)、深沢 鳳介投手(DeNA)の3投手がNPBに在籍していますが、やはり3人ともストレートを軸に組み立てるピッチャーです。上沢投手も伸びのある140キロ後半の速球で抑える投球が光ります。
まだ編集部に入る前に惹かれたチーム、投手の背景を編集部の一員となって答え合わせをする機会に恵まれたのが専大松戸でした。監督と選手の深い絆にも心を動かされました。
道のりは厳しくてもメジャー昇格実現を!
さて話は上沢投手に戻りますが、レイズとマイナー契約を結びました。メジャーに昇格すれば、年俸も大幅増額となるスプリット契約だといいますが、道のりは厳しいです。
ただ上沢投手は日本ハム入団時、ドラフト6位からのスタートで、這い上がって今の立ち位置を掴みました。私はやってくれると思いますし、上沢投手を見てきた栗山 英樹前監督、新庄 剛志監督のコメントからも、期待している様子が伝わってきました。
ぜひメジャーリーガーとしてマウンドに立つ姿を見せてくれることを期待しています。
*『主筆・河嶋宗一コラム グラカン!』は毎週日曜配信します。
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