堀越vs都立目黒
過去5度出場の堀越が大苦戦、9回に目黒に辛うじて逆転、薄氷を踏む勝利
1997年の第79回大会に西東京代表として5回目の甲子園出場を果たしている堀越。その後、東西東京大会の地区編成変更があり、学校のある中野区は東東京となった。東東京代表としての甲子園出場はまだない。修徳で実績のある小田川 雅彦監督が就任して、再浮上を目指している。
その堀越に対して目黒は、思い切りのいい打撃スイングで十分に抵抗を示して、「あわや…」というところまで追いつめた。
目黒は初回、安打と失策、四球で二死満塁のピンチとなったが、閑製君が気迫の投球で抑える。そしてその裏、先頭の倉上君が三遊間を破ると、盗塁と内野ゴロで一死三塁として、吉添君の中前打で先制。さらに2回にも、四球と安打で無死一二塁として、バント失敗などもあったが、二死満塁から2番山本君が強烈な投手返しの内野安打で2点目を挙げた。
堀越は、3回に6番田口君の左前タイムリー打で1点を返してなおも一死一二塁だったが、以降は閑製君に抑えられる。そして、その後は、回が進むごとにこの1点差が重くのしかかってきて、堀越各打者は、いくらか焦りもあってか、早いカウントで打って行って打ち上げてしまっていた。閑製君も、そのあたりを見透かしたかのような巧みな投球でもあった。
ただ、堀越も、先発の刈谷君は2回で降板して3回からリリーフした2年生の加藤君が「えいっ!」と、声を出しながらの気合の投球で3回以降を抑えていき、試合を引き締めた。
こうして、1点を巡っての守り合いという展開のまま8回を終えた。目黒としては、強豪私学を追い詰めていって、勝利まであと3人の9回を迎えた。
この回1番からの堀越。倉石君は二塁へ強い打球で、ヘッドスライディングで一塁へ向かい内野安打とした。これに、続く古舘君も刺激を受けた。「ネクストにいた時に、ベンチからも『緊張しないでリラックスして行け』と声かけられていて、倉石のヘッドスライディングを見て思い切って行こうと決めました」と言うが、そのファーストストライクを強振して、左翼手の頭上を越えていく二塁打を放ち同点とした。二塁ベース上では、「絶対ホームへ帰るぞ」と思っていたという。
その思いに応えて、3番五十嵐君はきっちり送って一死三塁。ここでパワーのある4番田倉君は、左翼へのライナーの打球。これが左犠飛となって、古舘君はホームへ滑り込んだ。こうして、辛くも堀越は目黒に逆転勝ちで3回戦進出を果たした。
試合後、堀越のベテラン小田川監督は、「野球をある程度分かっているようなつもりになっていた自分に対して、痛烈な戒めとなる試合でした」と反省。
先発の刈谷君は入学してきた時には肘が曲がっていて、投げられないような状況だったというが、それを克服。そんな刈谷君の努力と思いに賭けて先発を託して、「2点までは我慢しよう」という思いで送り出したというか、まさか2回で2点になってしまうとは思ってもいなかったという。そこで急遽3回からは2年生の加藤君を送り出した。その加藤君が踏ん張ったことで試合を持ちこたえて行ったのだが、打線は焦りもあってポンポンと打ち上げてしまい、まさに閑製君の術中にハマっていった。それを修正しきれなかった。そのあたりを含めての反省の弁でもあった。それでも、9回に何とか逆転出来たことには安堵していた。
1点差で9回に逆転されてしまった目黒だったが、加藤 春彦監督は、「閑製はよく投げてくれたし、正直、ここまで戦えるとは思ってもいませんでした」と、選手たちの健闘を評価していた。
5月以降もここまでトータルで10試合程度しかこなせなかったという。それに、通常練習も、コロナ禍ということで午後5時には完全下校。グラウンドそのものも、内野のダイヤモンドを取れるかどうかという状況の中で、決して恵まれた環境ではない。そうした限られた条件で頑張ってきた選手たちが、敗れたとはいえ一つの成果は示したと言っていいであろう。
文=手束 仁
2019年 第101回全国高等学校野球選手権大会東東京大会
■開催期間:2019年7月7~7月27日(予定)
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