報徳学園vs聖光学院
小園海斗の 「ドラフト1位」を確信した試合
報徳学園の1番、小園海斗(3年)が「ドラフト1位候補」の名に恥じない活躍をした。バッティングから紹介すると、安定して打てる選手に共通する〝ゆったりとした間(ま)″をすでに持っている。早いタイミングで前足を上げ、これをしばらく滞空させてステップするタイミングを計るという形。
バットを持つ腕の動きにも見どころがある。グリップの位置が最初耳のあたりにあり、これを肩の下まで下げてトップと言われる状態を作るのだが、グリップが耳のあたりにあるときその手がダラダラと上下動して一定しない。この「ダラダラ」という動きがミソである。似たタイプを探せば中村晃(ソフトバンク)が近いだろうか。ダラダラした動きで上半身の固さをほぐし、脱力を図っているのだとすぐわかる。
第1打席は衛藤慎也(3年)が投じた146キロのストレートを鋭く打ち返してレフト前ヒット、と思っていたら何と二塁を陥れ、二塁打にしてしまった。このときの二塁到達タイムが7.57秒。これは私が今年計測した中で3番目の速さだ。これで驚くのはまだ早い。第2打席ではスライダーを打ってセンターの頭を越える二塁打を放ち、このときの二塁到達が7.76秒、そして第4打席では外角への142キロを捉えて左中間を真っ二つに破る二塁打を放ち、二塁到達は7.71秒。1試合で3本の二塁打を見るのも稀だが、そのタイムが7.5~7.7秒台に集中することのほうが私には驚きだ。
守備も凄い。走者がいないときの小園はだいたい土と芝生を分けるラインのあたりか、その後ろ、つまり芝生のあたりで守っている。聖光学院の好遊撃手、田野孔誠(3年)の守備位置を見るとたいてい土の部分で守っている。その差は2メートルくらい。この守備位置が深い分だけ広い打球範囲に対応することができる。
これらの走攻守を見て、小園が来るべきドラフト会議で1位指名されることをほぼ確信した。通路を行く広島の苑田聡彦・スカウト統括部長に「小園は凄いですね」と言うと、顔をくちゃくちゃにして通り過ぎて行った。もちろん、「俺もそう思うよ」というサインだと思う。
試合展開を振り返ると、この小園が報徳学園の3得点の突破口になった。1回表は二塁打で出塁した小園を2番の村田琉晟(3年)がバントで送り、3番長尾亮弥(3年)のショートゴロの間に生還。3回も同様に小園が二塁打で出塁し、村田がバントで送って1死三塁とし、3番・長尾のライトへの犠牲フライで生還。2対2で迎えた8回は、やはり先頭打者の小園が二塁打で出塁後、村田がバントで送り、長尾が144キロのストレートをレフト前に弾き返して決勝の3点目を挙げるという展開。
最も強かった1970年代の阪急ブレーブスは1番福本豊が出塁したあと盗塁で進塁、2番大熊忠義の進塁打で三塁に進み、3番加藤秀司の犠牲フライで生還という攻撃面における勝利の方程式を作り、1975~77年に日本シリーズ3連覇を達成した。この日の報徳学園の得点パターンを見て、思わず40年以上前の偉業を思い出してしまった。
聖光学院の先発、衛藤慎也(3年)は早い開きのない理想的な投球フォームから最速146キロのストレートを投げ込み、これにスライダーと先輩の歳内宏明(現阪神)ばりのフォークボールを交え、スキのないピッチングを展開したが、小園1人に翻弄された形になった。付け加えると、小園は投じられた18球のうちストライクを見逃したのは1球だけ。積極的に打っていくスタイルが好結果に結びついたことは言うまでもない。
(記事=文:小関 順二)