脇町vsつるぎ
つるぎの奮闘を立ち切った「最速144キロ右腕」
この試合、まず讃えらえるべきは統合前・美馬商時代の1980年夏以来、38年ぶりの夏1勝へ果敢に挑んだつるぎの奮闘である。2点を追う2回表には相手失策で1点を返した後の一死一・三塁から8番・笠井 浩成(3年・二塁手・167センチ62キロ・阿波市立土成中出身)が三塁前に絶妙のバント安打を決め同点。
岸上 雅弥(3年・投手・173センチ62キロ・右投右打)と安田 知輝(3年・捕手・166センチ83キロ・右投右打)のバッテリーも美馬市立山川中時代からのチームメイトという利点を十二分に活用し、脇町打線を初回の2失点のみに抑え続けた。
ただ6回表、脇町・馬場 潤一郎監督は大会前から「リリーフで投げさせようと思っている」と話していた通り、強烈なジョーカーをここで切ってきた。最速141キロ右腕・立木 遼(3年・177センチ71キロ・右投左打・美馬市立山川中出身)をマウンドに送り込んだのである。
そして立木は期待以上の働きを見せた。6回に早くも「142キロ」「143キロ」を出せば7回には「144キロ」。加えて落差の大きなスプリットとスライダーも随所もに交え、4回で与えたランナーは1内野安打と1四球のみ。それでも淡々と0を重ねていたつるぎであったが、8回裏二死一・三塁から脇町のトリックプレーで3点目を許すと、反撃できる力は残っていなかった。
かくして「徳島県内屈指」から「四国屈指」にレベルを上げた立木。この後の試合もリリーフ登板が濃厚な最速144キロ右腕は中学時代のチームメイトたちの想いも胸に、思い切り右腕を振る。
(レポート=寺下 友徳)