都立清瀬vs豊岡
好天の連休は、各校さまざまな思いを重ねて連戦が相次ぐ時期でもある
整列する豊岡と都立清瀬
関東地区では春季大会もほとんど終わりかかっているというこの連休、多くの学校は貪欲に練習試合を組んでいって、夏前の最初の充実期とも言えよう。また、それとともに連戦となっているところも多く、選手たちに疲労がたまってきているという事実も否めないであろう。しかも、今年のゴールデンウィークは好天が続いて、組んでいた試合がほとんど流れなかったということもあるかもしれない。
西武池袋線の特急レッドアローに乗ると所沢の次が入間市駅になる。その入間市駅から徒歩で数分のところに豊岡高校がある。2年後には創立100年を迎えるという古い学校である。ちょうど今年入学してきた生徒たちが3年生になった時が100周年になるということもあって、北能徳監督は今年度のユニフォームの袖口の校章の下に「SINCE1920」を入れ込んだ。伝統のある学校なのだという意識と自覚を選手たちに持たせる意味合いもある。
豊岡は現在40人学級で各学年8クラスが原則となっている中堅公立校である。現在は普通科のみだが、歴史的には豊岡農~豊岡実を経て、入間と統合するのを機に「豊岡という名前を残そう」という地元の願いもあって、現校名となっている。そんな経緯があるのだが、元々は学校所有の実習用の畑だったということもあって敷地は広い。大きなグラウンドは2つあり、陸上競技部や全国レベルのアーチェリー部が使用するメインとなっている第1グラウンドとは別に、その隣にテニスコートと第2グラウンドとしてほぼ野球部専用球場がある。
両翼は90Mを越えているが、左中間は体育館が出っ張っており膨らみがないどころかグラウンドとしては凹みになっている。そんなこんなで、野球としてはちょっと使い勝手はよくないようだが、それでもこれだけのグラウンドを有しているのは、首都圏の学校としては恵まれているほうだと言っていいであろう。それに、元々は畑だったということもあり、若干傾斜になっていて水捌けがよくなっているのは野球部としては有り難いことのようだ。
また、野球部の歴史としては、1998(平成10)年の青森大会で東奥義塾が深浦を相手に122対0という試合で地区大会最多得点差記録を更新したが、それまでの地区大会の大差記録は実は豊岡が持っていた。1936(昭和11)年夏の関東地区大会埼玉県予選で豊岡実が松山相手に72対0という大差試合を演じている。これが、それ以前の最多得点差試合だったのだ。だから、それまでは夏の大会の記録と言うと、その名前が紹介されることも多々あった。
ベンチから選手を鼓舞する豊岡 控え選手
そんな豊岡ではあるが、近年は県内でも特に目立った実績を残しているというものではない。まさに中堅公立校という位置づけで、選手たちも真面目で大人しい。それに、学校としても進学実績をよりあげていきたいという方針で、毎日朝には5分間テストが実施されているし、宿題も多くて、その負担も大きいという。そんなだから、飯能南監督時代には、「ほとんど野球だらけの時間」という中で武藤祐太(Honda→中日→DeNA)らを育てあげてきた北監督も、「宿題に取り組んでいく時間も作ってあげないといけないし、やっとつけと貰った照明もティ打撃をするのが精いっぱい」という程度でもあり、そんなに遅い時間までは練習で拘束していないという状況だという。
それでも、集まってきてくれた選手たちの中から、選手を育てていくという作業に喜びを感じている。それに、他の部活動も盛んであり、それも刺激になっているようだ。
この日は同じ西武池袋線沿線にある清瀬を迎えての練習試合となった。清瀬はこの春、一次予選を勝ち上がって進出した春季都大会は初戦で敗れはしたものの、強豪の東京日野に対して9回まで大きくリードしていて、最後は乱打戦となって破れたが、攻撃力にはある程度の力は示している。
この日の試合でも初回に先頭の金澤君がいきなり中越二塁打すると、初回だけで5安打2四球で暴投もあって4点を奪った。5回にも3番寺谷君や5番齋藤祐太君の二塁打などで2点を追加。こうしてリードを維持していたが、そのリードを清瀬投手陣は15四死球を与えながらも何とかキープして逃げ切った。とは言え、投手はリズムもよくなく、決め球を欠いていたということもあってかなかなか抑えきれないでいた。
渡部正樹監督も、「長い試合になってしまいました。投手がピリッとしないとこういう締まりのない試合になってしまいます。申し訳ないですね」などと言っていたが、豊岡も7四死球で両チーム合わせて23四死球は、やはり見ている側としてもややしんどい試合であったことは否めない。
春季大会を新2年、3年の17人で戦ってきた清瀬。新入生が入って来て、何とかチームの幅も出てきたが、戦力としても使っていきたいという渡部監督は、2試合目では積極的に1年生を起用していたが、捕手の阿部君などは相手の盗塁に対しても鋭い反応でいい送球をしていた。また、内野も1年生を中心とした布陣になっていたが、ベンチから上級生たちが積極的に声を掛けていっていて、そこはいい雰囲気だった。
ただ投手がいなくなって、本来は内野手の金澤君や寺谷君も投げざるを得ない状況になってしまった。それを、豊岡打線も逃さず、少しでも甘いときっちり打っていくぞという姿勢は示していた。終わってみたら、22安打で17得点。1番に入っていた1年生の村山君は2試合目では本塁打も放って3安打して北監督の起用に大いに応えていた。それに吉川君と石橋君の中軸もそれぞれ長打して、頼れるところを示していた。
(取材・写真=手束 仁)