生光学園vs板野
窮地の生光学園を救った「アイアンハート」スーパー1年生
まず、この試合については「主役はサヨナラ勝ちの生光学園ではなく、惜しくも涙を呑んだ板野である」と言いたい。
エースで6番の河野 廉(3年・投手・右投右打・169センチ75キロ・藍住町立藍住中出身)は、1点ビハインドで迎えた9回表二死三塁からあと1球まで追い込まれながらも、生光学園ストッパー・髙橋 謙太(3年主将・遊撃手兼投手・180センチ75キロ・生光学園中<ヤング>出身)の甘く入ったスライダーを捕らえ、起死回生の右中間逆転二塁打。
2回に頭部死球を受けた影響か、5回途中で4点を失い無念の降板・左翼手回りとなった悔しさを自らのバットで晴らした。
また、2番手の喜田 陽介(3年・投手・右投右打・182センチ66キロ・藍住町立藍住東中出身)も、長身の利点を十分に活かし、ストレートを見せ球にカーブとチェンジアップとコンビネーションで6・7・8回を無失点リリーフ。
2投手を巧みにリードした安藝 勇斗(3年・捕手・右投左打・167センチ65キロ・北島町立北島中出身)や、主将の責任を7回表は犠飛、9回表は一死からの遊撃内野安打で果たした3番・福井 修斗(3年・二塁手・右投左打・170センチ65キロ・徳島藍住リトルシニア出身)らと共に「背の丈を理解した」堅実な攻守は第2シード・生光学園を完全に凌駕していた。
しかし、最後に笑ったのは生光学園。
その立役者となったのは9回裏、試合を早く終わらせにいくあまり、ストレートで押してきた喜田から安打2本と1四球で迎えた一死満塁から打席に立った3番・武岡 大聖(1年・左翼手・175センチ82キロ・徳島ホークス<ヤング>出身)である。
1年夏で早くも強豪の主軸を任された武岡。ただ、中学時代の実績を並べればこのポジションも当然である。
まず、吉野川市立鴨島第一中入学直前のヤングリーグ春季大会(小学生の部)では徳島ホークスの「エース・4番」としてチームを全国制覇に導いた。
同大会での活躍により「ボーイズリーグ・ヤングリーグ合同中学1年日本代表」に選出され、8月に参加した「2011カル・リプケン杯12歳以下世界大会」(アメリカ・メリーランド州)でも、武岡は躍動した。
全8試合中6試合に登板。打者としてもインターナショナルリーグ予選・メキシコ戦での逆転2ラン含む活躍で、2007年の初参加以来悲願となっていたインターナショナルシリーズ優勝、アメリカ・オハイオ州選抜を破っての「世界一」に大きく貢献。大会MVPの称号と共に世界に「TAKEOKA」の名を轟かせたのである。
その後も3年時に「第5回少年硬式野球四国選手権大会」(愛媛県松山市開催)徳島ホークス大会初制覇にもかかわるなど、四国の中学硬式野球界では知る人ぞ知る存在であり続けた彼にとって、この修羅場も楽しむ場に過ぎなかった。
かくして、外角高めの初球を逆らわず叩いた武岡の打球は左翼線に落ちる逆転サヨナラ打に。
MLB1位の2623試合連続出場記録を持つなど「鉄人」と称されたカル・リプケンのごとく、「アイアンハート」を持った1年生は、窮地の生光学園を救い、再び3年前と同様に「主役」の座を奪おうとしている。
(文=寺下友徳)