龍谷大平安vs大島
相手の弱点を徹底的に攻める勝負の鉄則!
21世紀枠で出場、甲子園初見参の鹿児島大島(鹿児島県の奄美群島に所在)が、春夏通算最多の70回目の出場を誇る龍谷大平安にどう立ち向かうのか。興味の焦点は「古豪対新興」の一点に絞られていた。
鹿児島大島に対して「新興」以外の要素を私も含めた多くの人間が知らなすぎた、と言ったほうがいい。たとえば、1番重原龍成(3年)が三塁打を放ったときの三塁到達が11.75秒という俊足だったこと。4番小野浩之介(3年)が“ドラフト候補”と形容していいほど全国クラスの強打者だったこと、それらのことを知っていれば「新興」以外の興味の持ち方もできたはずだ。
スコアは16対2と大差がつき、「やっぱり奄美大島にあるチームじゃ龍谷大平安には勝てない」と思ってもおかしくないが、球場であるいはテレビで熱っぽく試合を見た人は点差ほど実力に開きはなかったことがわかる。紙一重、と言っては言い過ぎだが、「9対5」くらいのスコアにはなったと思う。
鹿児島大島が5点取る根拠は、放ったヒット数(11)とホーム憤死が3回あったことを挙げる。1回は一死一、二塁で小野がレフト前にヒットを放つが二塁走者がホームで憤死、6回は二死二塁で8番川畑雅樹(3年)がやはりレフト前にヒットを放つがホーム憤死。そして7回には無死一塁で1番重原が右中間を大きく破る三塁打を放つが、なぜか一塁走者の前山優樹(2年)がホーム生還を躊躇し、三塁ベース付近に佇んでいた。重原が俊足を飛ばして三塁に向かってくるのを見て、あわててホームへ向けて走り出すが間に合わずホーム憤死。7回を終わったところでスコアは龍谷大平安の9対2だったので、3つのホーム憤死がなければ9対5になっていた可能性がある。
さらに鹿児島大島にとって惜しいプレーがあった。5回表、先頭打者が四球で出塁後、二盗に失敗するが、1番重原が四球、2番武田翔吾(3年)が四球で一、二塁、そして3番竹山舟(3年)がピッチャー前のバント安打で満塁とし、打席に入るのは4番小野。このとき一塁走者の重原が、龍谷大平安の代わったばかりの中田竜次(3年)の牽制球に刺されてしまうのである。
このプレーは龍谷大平安の十八番と言ってもいい。走者一、二塁の場面でけん制に入ろうとセカンドが声を挙げて二塁ベースに入る。心理的に二塁走者はあわてて帰塁するが、一塁走者は悪送球に備えて塁を飛び出すはずだ。こういう心理を利用して投手はまさかの一塁に送球する。このようなピックオフプレーを龍谷大平安・原田英彦監督はさまざまに工夫して試合で行う。
鹿児島大島にとっては痛恨のけん制死だった。一死満塁なら「外野フライでいい」と気楽に打席に立てるが、二死二、三塁になれば「俺が打たなければ」と力む要素が出てくる。けん制死直後の3球目5球目の外角に逃げるスライダーを小野は追いかけて三振を喫してしまう。このときスコアは1対1だったので、ここで1点取ってリードすればその後の流れは変ったはずだ。
龍谷大平安は3回まで「鹿児島大島に負けるわけがない」と、たかをくくっていたのかもしれない。9アウト中、フライアウトが7個もあった。それが4回以降の18アウト中、フライアウトは4個に減った。ピンチを脱した5回裏には四球の走者をバントで二塁に送り、5番中口大地(3年)がレフト前へタイムリー、6番常仁志(3年)がレフトスタンドへ2ランを放ち、完全に主導権を握った。
相手の失策を逃さず得点にするのが強いチームの鉄則である。龍谷大平安は満塁での一塁けん制死という鹿児島大島の“ミス”のスキを逃さず、さらに四球の走者を得点に変えている。6回にも鹿児島大島投手陣の2四球、1死球という“ミス”を得点につなげている。このへんが甲子園・春夏通算70回出場の強みである。場慣れしていない鹿児島大島には良い経験になっただろう。
全力疾走も龍谷大平安のほうが目立った。「一塁到達4.3秒未満、二塁到達8.3秒未満、三塁到達12.3秒未満」をクリアしたのは4人5回で、鹿児島大島の2人3回を上回る。捕手の二塁送球タイムも髙橋佑八(3年)が最速1.98秒を計測し、鹿児島大島の足を封じた。対して龍谷大平安は7個の盗塁を決め、鹿児島大島の2年生キャッチャー・白井翔吾と途中からマスクを被った備心之介(3年)を揺さぶった。
相手の弱点を徹底的に攻めるという強豪の鉄則をここでも発揮した龍谷大平安の2回戦の相手は横浜対八戸学院光星の勝者。面白い戦いが見られそうだ。
(文=小関順二)