鹿児島城西vs鹿児島商
中村(鹿児島城西)
「良い流れで勝てた」鹿城西「良い経験が積めた」鹿商
シード鹿児島城西と鹿児島商の決勝戦は前日の「春の嵐」も収まり、絶好の「野球日和」の中で両チームが春の王者を目指して火花を散らした。シード校がベスト8に2校しか残らず、鹿児島実、樟南といった強豪も序盤で姿を消す波乱の展開だった今大会だったが、センバツ出場の神村学園のいない鹿児島で、最も力のある2校がしのぎを削った見応えのある決勝戦だった。
最もワクワクしたのは、鹿児島城西の背番号・10中村正利と鹿児島商のエース福永翼の投げ合いだ。
中村は準決勝までとは見違えるような好投だった。今大会は冬場の調整が出遅れ、制球を重視したフォーム改造もしっくりいかず、本来の調子とは程遠いマウンドが続いていた。準々決勝の鹿児島南戦の前日からフォームを昨秋までの、右足を振り子のように使って大きく振り上げる独特のフォームに戻した。準決勝までは足の上げ方が速かったり、遅かったりと安定しなかったが、この日は上げるスピードはゆっくりめで、その代り「ためをしっかり作る」ことと「リラックスする」ことを意識したという。
ネット裏でチェックしていた他校のスピードガンによれば、直球の最速は138㌔で常速は132㌔ぐらいだったという。本来の持ち味からすれば140㌔台は出ていてもおかしくないが「気持ちが入っていた分、数字以上にキレがあったと思う。直球で空振りがとれたのが良かった」(中村)。
成長の跡がうかがえたのは八回に初失点を喫した後の場面だ。鹿商が勢いを盛り返し「今までなら舞い上がって気を失っていた」(吉田健監督)場面だったが、4番・篠山貴明を直球で追い込み、チェンジアップで空振り三振に打ち取った。この日は投げ急ぐことなく、何度も間合いをとって野手とアイコンタクトをとったり、言葉を交わして、独り相撲にならない投球を心掛けていた。「最後まで、マウンドで冷静でいられたのが良かった」と会心のマウンドを振り返った。
福永(鹿児島商)
鹿商の福永は緩急の使い方が見事だった。序盤は直球勝負に出たが「連投でボールが走っていなかったのを狙われた」(福永)。三回以降は、切り替えて「遅い球」を有効に使った。130㌔台の直球に、110㌔台のチェンジアップや、80㌔台の「超スローカーブ」も時折混ぜながら、緩急の差で勝負する。三回以降の投球は「安心して見ていられた」と松下幸男監督も頼もしさを覚えたほどだった。
昨秋は第1シードでありながら初戦で吹上に敗退。脇腹の肉離れで満足な投球ができなかった福永は「チームに迷惑をかけた借りを返す」意気込みをこの春にぶつけた。直球の最速は144㌔をマークし、チームは3季ぶりの九州大会出場を勝ち取った。「連投になるとどうしても直球が走らなくなる。夏までには連投しても140㌔が出せる強い身体を作りたい」とこの春で見えた新たな課題を、克服する覚悟を決めていた。
2009年夏に決勝進出して以降、鹿城西は09年秋、11年春秋と決勝に勝ち進んでいるが、肝心の優勝旗を手にしていなかった。「周りから『鹿城西は優勝できない』と言われて、悔しかった」と恵大樹主将。ましてやライバル神村学園のいない鹿児島で、負けるわけにはいかない。
今大会は第1シードでありながら、コールド試合は1つもなく、接戦が続いたが「シードであるかどうかは関係ない。一戦一戦に練習でやってきたことを出し、夏に向けて『粗』も出し切ろうというテーマでやってきた」と吉田監督。決勝戦でも終盤、エラーや走塁ミスがあったが「打つべき人が打ち、おさえるべき人がおさえて、良い流れで試合ができた」と、ようやく真価を発揮したナインの健闘をたたえていた。
鹿商は初回と五回、いずれもミスが失点につながったのが痛かった。昨秋の初戦敗退から復活の足掛かりをつかむために「ミスしても下を向かず、切り替える」(松下監督)を約束事にやってきたが「やってはいけないミスをしてしまうと、どういうことになるか。それが身に染みて分かった」敗戦だった。
表彰式
バントを多用し「つないで、つないで1点ずつ積み重ねる」打線で、初戦から準々決勝まで4試合連続コールド勝ちと、結果を残してきた打線だったが、この日は中村の勢いに劣勢を強いられ、七回まで1安打と攻めあぐねた。八回二死から主砲・丸田翔太郎にタイムリーが出て、一矢報いることができた。
九州大会を決めたことも、決勝で負けたことも「全ては夏に向けての、良い経験が積めた」と松下監督は考えている。
「良い試合をしても負けは負け。最後の最後まで勝ち切らないと甲子園はない」
試合後、部員全員の前で松下監督は力を込める。
「持っているものを出し切るために必要なのは人間力。日頃の練習の取り組みから、もう一回見直して『これだけやってきたんだ』と胸を張って言えるものをつくろう!」
来たる夏を本物の「鹿商・復活」にする決意を全員で固めていた。
(文=政純一郎)