津vs津東
大黒柱・川崎(津東)4回戦で力尽きる
手負いだった。津東のプロ注目右腕・川崎貴弘は6月下旬の練習試合で右肩を痛め、その後は投球練習をしていない。「ぶっつけ本番」で挑んだ今夏、22日の皇學館戦では141キロをマークし、9回表に自ら決勝ホーマーを放って完封、シード校を破った。だがこの日はもはや球が走らず、状態の悪さは明らか。「ずっと投げていないので、調子が良いのか悪いのかも分からなかった」。マウンドを降りてライトに退くと、守備での足取りさえ重かった。
「いつも川崎(に頼って)ばっかりで…。何もできなくてごめんな」。津東のキャプテン・中西健太は試合後、川崎を前にして、涙を流しながら溢れる思いを口にし、186センチの大型右腕に崩れかかった。星取りだけを見れば過去約10年、夏の大会で初戦敗退が続いた同校に突如現れた「プロ注目右腕」が川崎だ。必然的に周囲からは「川崎だけのチーム」と見られ、実際に川崎への負担も増える。チームのメンバーたちもそれは感じていただろう。だが、彼らだって成長を重ね、「全員でつらい練習を乗り越えて」(福森正文監督)春は県ベスト8まで達した。甲子園も視野に入るチームになっていた。それだけに、部員みんな、ここでの終戦が悔しかった。
川崎の帽子の裏に「絆」という言葉が書いてあった。その文字や、中西の言葉に表れるようなチームメートの責任感を見るにつけ、「川崎だけのチーム」という見方は一面的であるとともに、9人の3年生を中心に上を目指してきたこのチームがもう見られなくなるのは酷だな、という思いがした。
囲み取材で「プロに行くにしても、大学に行くにしても、超一流の選手になりたい。それが、支えてくれた人たちへの恩返しになる」と締めた川崎。「これからも頑張ってな」と告げた中西の思いも、川崎はがっしりと受け止めた。
さて試合はというと、川崎のコンディションが悪く、初回から津東の劣勢だった。1対4で迎えた5回裏、浅井七洋の犠牲フライで2点差に迫ると、さらに川崎が二盗を試み、相手捕手の送球が逸れて三塁ランナーが生還した。だが、これと同時に三塁を狙った川崎はタッチアウト。川崎は背中から崩れ天を仰いだ。
川崎がKOされた後は、福森監督が大会前「彼が成長したのが大きいんです」と喜んでいた2番手投手・岩谷俊孝がマウンドを守った。ただ惜しかったのは7回表に5点目を失った場面。連続死球で一死一・二塁とすると、次打者の投ゴロを捕球した岩谷が、「1→6→3」の二塁ゲッツーではなく、思わず三塁へ送球した。これに慌てた三塁手が「1→5→3」の一塁送球を悪送球。バックアップもないファールエリアをボールが転がる間に、一塁ランナーがホームを駆け抜けた。
9回表は、「痛みがあっても投げると決めていた」川崎がこの日3度目のマウンドに上がり、最後の2打者からストレートで三振を奪った。まさに渾身のボールだった。
試合後、敗れた津東は球場脇で“最後”のミーティング。福森監督はたっぷりと時間をとり、9人だけの3年生選手を皮切りに、2年生、1年生、マネージャーの全部員に話をさせた。泣いている選手も多かったが、ミーティングが終わり記念写真に収まる頃には、晴れやかな表情に変わっていた。
勝った津は、春の地区大会(2011年3月27日)でも津東を下しているが、そのとき同様にエース金児尚弥のピッチングが素晴らしかった。緩いボールを効果的に使い、打者に本来のバッティングをさせない。ストレートも、迫力はなくとも見事にコーナーに決めて、打者は手が出ないか、打っても凡打。打ちにくい(打たれない)ピッチャーだ。見ていて安心感がある。こういうピッチングをされると、強豪校でも手を焼くだろう。
打線も初回、1番・藤田翔也がいきなりのヒットで出塁すると、3番・庄山勲がセンターオーバーのタイムリー二塁打を放ち早速先制した。川崎のストレートをしっかり振り抜いた、意志のあるバッティングだった。庄山は3回表にもタイムリーを放ち、勝負強さを発揮している。1番・藤田、2番・松本遼平、3番・庄山はいずれも2安打を放ち、打点を挙げた。
津は県内で屈指の進学校。スタメンのうち6人が2年生、1人が1年生ながら、他校の3年生にも見劣りしないプレーぶりだった。ちなみに試合中、津サイドの観客席で写真を撮っていると、同校新聞部が前の試合の様子を記事にした「津高新聞」を配ってくれたのは嬉しかった。
(文=尾関 雄一朗)