健大高崎vs大間々
大間々の“本気”の夏
メンバー表には、4人分の空欄がある。部員わずか16人。紅白戦もできない。3年生が抜ければ8人となり、秋の大会の出場も危うい。そんな小規模な野球部でも、彼らは本気だった。
群馬県立大間々高校――。目標を問われれば、選手たちは「甲子園で勝つこと」と答える。そこに、恥ずかしい気持ちはない。それだけのことをやってきたからだ。
現在の3年生が1年生だった一昨年の冬には、県大会決勝の舞台となる[stadium]上毛新聞敷島球場[/stadium]の外周を77周した。距離にして約42キロ。「オレたちは、どこよりも敷島で走った」。その事実を得るために、誰ひとり脱落することなく必死で走り抜いた。
身体作りをするため、1日13合のごはんを食べる食事合宿を何度も行った。エースの大川良介は1年時の177センチ、74キロから、3年生になり182センチ、85キロにまで成長。小暮恭平が177センチ、72キロから181センチ、80キロに、金子裕が180センチ、72キロから182センチ、83キロへとともに約10キロ増量。津久井孝明監督が「ひいきめかもしれませんけど、県内で一番いい身体になったと思います」と胸を張るほど、見違えるようにたくましくなった。
公式戦前に緊張して寝られないことを想定しての不眠合宿も敢行。集中力や精神力を養うため、合宿中には早朝のそうじや読書、座禅なども取り入れ、自信につなげてきた。
厳しい練習などで退部する部員もいる中、残った3年生は入学時から半分の8人。“本気”で目指していたからこそ、乗り越えられた彼らは強かった。大川は最速143キロを投げるプロ注目右腕に、今泉俊樹も130キロ半ばの速球を投げる厄介なサイドスローに成長した。
練習試合では秋、春ともに2009年夏の甲子園準優勝校の日本文理(新潟)に勝利。大川は完封してみせた。大川をはじめ、部員は中学時代に控え選手だった子ばかり。
「勝った経験がないから、すぐにあきらめる。やらなくてはいけないことを人任せにする。何をするにしても、とりかかるのに時間がかかる。(指導者が)見ていなければ、やらない。覚悟ができない選手たちでした」(津久井監督)
それが、今は見ていなくてもサボらなくなった。制服のネクタイも緩めなくなった。あいさつは立ち止まってするようになった。「ウラオモテがない人間になってくれた」(津久井監督)。その結果が、今大会の2勝。センバツ出場の前橋育英を大川が完封し、今泉が3ランを放って力で破る金星につながった。
そして、この日の健大高崎戦。敗れはしたものの、6回まで1対1と互角に渡り合った。3回には無死一塁から、8番の大川が意表を突くバスターエンドランを成功させた。この回はスクイズ失敗で好機を逃したが、5回には無安打で1点。2死一、三塁からのダブルスチールは「打てなくても点を取ろう。決勝でこれを決めて優勝しよう」と何度も練習してきたプレーだった。
思えば、3年前の秋。こんな日が来るとは、予想もしていなかった。
当時の部員は2人だけ。練習すらままならなかった。書店で偶然手に取った『公立魂』を読み、「これだ」と思った津久井監督は、2人を連れて埼玉・鷲宮高校まで何度も練習見学に行った。命がけのグランド整備、必死になって声を出し、最後まで全力でやりきる姿を生で見せ、彼らに頑張る気持ちを奮い起こしてもらいたかったからだ。
だが、その冬。2年生部員がやめてしまった。残ったのは、当時1年生だった田部井達彦1人だけ。津久井監督とたった2人での練習。ティー打撃や走り込みなどがほとんどだったが、それでも、田部井はやめなかった。
「野球が好きなので、やめようとは思いませんでした。監督と2人で練習したのが思い出です」
あのとき、もし、田部井までもが退部していたら――。大間々高校野球部はなかったかもしれない。田部井が最後の夏だった昨年は初戦で藤岡中央に0対6で敗退。だからこそ、結果を残すことにこだわった。
「選手には、『1人で(野球部を)つないできてくれた子の頑張りがあるからお前たちがあるんだよ』と話してきました。本当は、去年の夏、田部井と勝ちたかったんですけど……。それでも、やってきたことが間違いじゃないと証明したかった」(津久井監督)
結果は、ベスト16。過去最高の1962年のベスト8にあと一歩のところで終わった。だが、彼らは確かな足跡を残した。
「1年前と比べたら、かなり成長したと思います。選手同士で厳しいことを言い合えるようになりましたから。技術的にも、セカンドの中根(惇)なんか、かなり成長したと思います」(田部井)
試合中には足をひきずるショートの井出陽紀に対し、ベンチから「言い訳を作るな」という激が飛んだ。実は、井出は6月中旬の練習中に左足の甲を骨折。痛みを押してのプレーだった。
「それでも、グランドに出ている以上は関係ないぞと。そういうしぐさは見せてほしくないので」(津久井監督)
今大会は開会式前日から学校で合宿。猛暑の中、1日9合のごはんを食べて体力を維持しながら、生活からすべてを懸けて臨んだ大会だった。
試合後、報道陣に「やってきたことは間違っていないと証明できましたか?」と問われた津久井監督は、きっぱりとこう言った。
「いえ。われわれの目標は甲子園で勝ち上がることなので」
大会2勝も、ベスト16も決して満足できる結果ではない。“本気”で、もっと上を目指していたからだ。
そして、それは選手たちも同じ。この日で公式戦は終わったが、彼らの野球はまだ終わらない。引退はせず、年内は野球部員として練習を続ける。3年生8人のうち、学生コーチとマネージャーの2人を除く6人は大学でも野球を続けることを希望している。大川や今泉はプロを目標に置く。だから、まだ終わらない。
8人になる残る部員の中には、田部井の弟、1年生の皓平もいる。津久井監督は言う。
「変わっていく彼らの姿を見て、必ず『大間々で甲子園に行きたい』という子が出てきてくれると思います」
大間々野球部の新しい歴史は、まだ始まったばかり。そして、高校で初めて“本気”の野球を知った部員たちの野球人生もまた――。“本気”で挑戦する彼らには、きっと、さらなる輝ける日が待っている。
(文=田尻賢誉)