東海大相模vs九州国際大付
エース・近藤(東海大高輪台)
高校野球から、エールNIPPON!
エース近藤正崇(3年)が空振り三振を取り、11年ぶりの優勝を決めた東海大相模。その瞬間、普段とは違う喜び表現だった。捕手の佐藤大貢主将(3年)がマウンドに近づく、内野陣もまたしかり。それでも輪が弾けることなく、謙虚に喜びをわかちあった。
「開催してくれた高野連の方々、開催を許してくれた被災地の方々に感謝の気持ちを持って、恩返しは精一杯やることだったので。自分たちが逆に勇気をもらってプレーすることができました」と佐藤主将は優勝のお立ち台で言い切った。
実は試合前取材の際、両校の主将に問いかけをしてみた。
『この大会が開催できた意味とは何でしょうか?』
『もし優勝できたとして、その瞬間の喜びをどう表現しますか?』
佐藤主将は優勝インタビューとほぼ同じ内容。
九州国際大付の高城俊人主将(3年)は「自分達が被災地の方々を勇気づけようと思ってもダメだと思う。全力プレー、全力疾走をして、その姿を見て何かを感じてもらえればうれしい」。
喜び方については高城が「マウンドには集まると思うが、はしゃぎすぎる選手がいれば、自分が止めさせる」。佐藤は「謙虚に喜びたい」と話してくれた。
本来なら流行りの指を一本立ててマウンドで抱き合う喜び方をしたかったのかもしれない。しかし今、こんな世の中だからこそできる喜び方を考えてもらいたかったのがこの質問をした意図だ。
この質問がなくても、両主将の意思は選手の中に浸透していたと2人の表情から感じ取ることができた。
勝負だから結果は出るのだが、九国、相模の2チームはファイナリストに相応しい全力プレー、最後まであきらめない野球を見せてくれた。
さて、その少し試合にも触れよう。決勝戦は打撃に自信を持つチーム同士の戦い。九州国際大付はここまで4試合全て初回に得点。東海大相模は4試合中3試合で初回に得点を奪った。この事実を鑑みれば、初回の攻防は、両チームとも最重要だったことは明らかである。
力投する三好(九州国際大付)
1回表、相模は1番渡辺勝(3年)がセンターフライに倒れる。3番田中俊太(3年)こそ内野安打を放ったが、結局4人に攻撃を終わる。打撃はこれまでになく静かな立ち上がりだった。
その裏、九国は1番平原優太(2年)がライト前ヒットで出塁。これを2番安藤彰斗(3年)がしっかり送って得点圏に走者を進めた。打席は3番の三好匠(2年)。2球目を強振するとライナーとなってショート橋本拓磨(3年)の頭上へ。橋本はこれをジャンプ一番好捕した。
まだ九国のチャンスは続く。4番の高城。3球目を打ち返した打球をセカンド田中が追う。何とか追いついたが、一塁は完全にセーフのタイミング。田中は投げることをせず、三塁方向に目をやった。すると走者の平原は迷うことなく本塁を目指していた。田中は冷静に佐藤へ返球し、平原はタッチアウトとなった。
この場面、二死のため走者が本塁を一目散に目指すのは当然のこと。お互いが攻撃でそれをやっているからこそ、守備側はそれを熟知したプレーで対応した。
2回は表裏とも無得点。
ポイントは3回に訪れた。打順が一巡りした相模はベンチ前でミーティングを組んだ。その中で田中が何やらメモを見ている。口々に発言し、意志を統一する選手と門馬敬治監督。この日、変化球の割合が多い九国エース三好のデータを見抜いていた。
今大会、何度も印象に残った相模の謀(はかりごと)が九国に牙を剥きはじめる。先頭の渡辺が左中間を破ると、九国外野陣からの返球が乱れる間に一気に三塁を陥れた。2番臼田は倒れるが、打席は3番田中。メモを直接みて説明していた男がライトへ先制タイムリー二塁打を放った。さらに4番佐藤のタイムリーでこの回2点目。二巡目できっちり先制した相模の脅威を九国バッテリーは感じていたのかもしれない。
4回には9番長田竜斗(3年)の送りバントで、一塁走者の橋本が内野陣のわずかなカバー遅れをついて三塁へ。1番渡辺が三塁打を放って3点目を挙げた。
5回には佐藤の2ラン、7回には5番菅野剛士(3年)の一発で着実に追加点を挙げる相模。
一方の投手陣は先発した左腕の長田が5回を無失点。そして「どんな展開でも6回から使う」と門馬監督が決めていたエース近藤を投入。5試合全て1人で投げてきた三好に疲労が見えていたのに対して、近藤は元気いっぱいだった。
九国打線は9回2死から連打で1点を返した以外は散発。打撃、守備、要所をしめる投球で九国を圧倒した相模が11年ぶりに春の頂に立った。
昨秋の関東大会決勝(2010年11月5日)で浦和学院にサヨナラ負け。門馬監督から、「日本で一番悔しい負け(甲子園決勝)をして、今度は関東で一番悔しい負けをした。あと一つ勝てない何かが、お前たちにはある」と厳しく叱責された佐藤主将。チーム全員で「何か」を探し続けた冬。その結果が決勝での勝利といくつもの記録を生み出した。
チームの大会通算塁打113、大会通算安打74はいずれも83回の歴史で新記録。チーム打率は4割ちょうどにのぼった。
敗れた九州国際大付属・若生正廣監督は、「満足。選手たちが成長してくれた」と優しい目で讃えたのが印象的だった。
それが今大会を取材するなかで感じられたのは、高校生である選手が今回の震災を実に良く考えていることだった。それまでの野球に関する質問には笑顔で答えていた選手も、今野球ができることを問われると、表情を一変させて真剣に考えて答えてくれた。
「自分たちに何ができるのかは分かりません」。これは門馬監督の言葉だが、多くの選手が同じ気持ちだったと取材を通じて受け止めている。
「当たり前のように今まで野球をやっていた」と佐藤主将が話したように、これまで忘れがちになっていたことを、高校球児たち、子供たちは身にしみて感じたのではないだろうか。その中で一生懸命やるその姿。それを,見て、大人たちは勇気をもらう。高校野球の魅力、そして子供たちの夢は永遠になくならない強く信じたい。
最後に取材をさせていただいた選手のみなさん、ありがとうございました。多くの困難があったにも関わらず、尽力された関係者のみなさんに深く頭が下がります。この大会が開催できて本当に良かったと確信する。
高校野球の世界から、エールNIPPON!