巨人若きエースから本塁打を放った中国代表・梁培の高校時代はベンチ外の強肩俊足外野手だった
東海大菅生グラウンドにある梁培が在籍した2016年度卒の石碑
第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、1次ラウンドが終了した。この大会の魅力は、日本と戦う他国の選手たちの魅力が伝わるところだ。
日本と初戦を戦った中国は、前ソフトバンクで今年から日立製作所でプレーする真砂 勇介外野手(西城陽出身)を筆頭に日本の高校でプレーした選手も多い。この日本戦で大きく知名度を高めたのが梁培(りょうばい)外野手だ。高校時代は東海大菅生(東京)でプレーし、高校卒業後は中国でプレーすることを希望し、中国に渡り、6年間の修行期間の末、トップチームの代表を勝ち取った。
高校時代はどんな選手だったのか。当時、梁培をよく指導していた八木澤副部長は、「足は非常に速く、肩も非常に強い選手でした」と明かす。調布シニア時代から評判の選手で、メンバー入りの期待も大きかったが、同期には15年センバツでも主力として入っていたレギュラーが多くいた。梁培は同世代の外野手と比べると打力面で劣っていた。最終学年では、主力チームに帯同して練習試合に登場するが、この世代はレギュラー選手だけではなく、同学年の外野手の多くが成長し、打力面で及ばずベンチ外だった。
それでも梁培は野球を諦めることなく、中国でプレーしたいと希望。中国球界のチームから声がかかり、卒業後は中国でプレーしていた。八木澤副部長に連絡が入ったのは、今年になってからだった。
本人から代表入りした連絡が入り、喜んだ。梁培は身体能力の高さだけではなく、さらに光るものがあった。
「とにかく真面目に最後まで練習を頑張る姿勢を持った選手でした。久しぶりに彼の名前を聞いて、連絡をいただいたのでとても嬉しかったですね」
梁培は日本戦で巨人の若きエース・戸郷 翔征投手(聖心ウルスラ出身)から本塁打を放ち、野球ファンを沸かせた。東海大菅生時代の2学年下の中日・田中 幹也内野手もSNS上で喜んでいた。もちろん八木澤副部長を含め、東海大菅生の指導者陣も喜びを見せた。
「日本代表を応援していましたが、あの瞬間だけは彼の活躍にスタッフのみんなは大きく喜んでいました」と明かす八木澤副部長。
高校はベンチ外。それでも諦めずに努力を重ねていけば、周囲の人も想像つかないサクセスストーリーを実現した梁培。これからも中国のトップチームの外野手として研鑽を積んでいく。