韮澤雄也(花咲徳栄) 仲間に支えられ、ともに駆け抜けた最後の夏【前編】
花咲徳栄、そして日本が誇る安打製造機としてこの夏の高校野球を沸かせた韮澤雄也。1年生の夏からベンチ入りを果たし、日本一を経験。その後、3年連続夏の甲子園に出場し、日本代表に選出。
ワールドカップでは3番に座り、チームトップの10安打を記録しベストナインに輝いた。そんな韮澤に最後の夏を振り返ってもらった。
仲間に支えられて成し遂げた埼玉5連覇、3年連続夏の甲子園
韮澤雄也(花咲徳栄)
埼玉大会5連覇がかかった今夏の優勝候補・花咲徳栄。ライバルたちから厳しいマークに遭う中、韮澤は調子を上げ切れずにいた。
「タイミングの取り方とかがダメで、大会前から調子が悪く、良い状態ではなかったです」
それでも大会序盤はピッチャーのレベルがそれほど高くなく、徐々に調子を上げていけた。それでも自分のバッティングができずに苦しんだ。
「準決勝で対戦した春日部共栄の村田賢一のような速球派のボールにはタイミングが合わせられなかったです。大会を勝てたのは周りの選手のおかげでした」
韮澤がそう語るように、今年の花咲徳栄はバッティングが良く、埼玉大会全7試合で打率.432、92得点、4試合が2桁得点を記録する破壊力で史上初の埼玉5連覇を成し遂げた。
練習試合でも負けてばかりでなかなか勝てないことが多く、韮澤自身は「本当に勝てるのかな」と思ったこともあったそうだ。それでも勝てると確信できたのは投手陣、特に3回戦の正智深谷戦でエース・中津原隼太がノーヒットノーランを成し遂げたからだ
「バッティングはずっと良かったのですが、投手陣に課題がありました。けど、中津原がノーヒットノーランをやってくれた。そこから投手陣が成長してくれて、自分たちの野球ができるようになったのが大きかったと思います」
公式戦を重ねていく中でチームを強くしていき、韮澤自身3度目の夏の甲子園に見事辿り着いた。「見える景色も変わりました。『甲子園に来たな』というよりも『帰ってきたな』という感じでいい意味でゆとりをもって大会に入れました」
しかし、韮澤は埼玉大会で結果を残せなかったことを反省し、フォーム改造に着手。体をリラックスさせるためにバットを低い位置に構え、タイミングを取り始めると同時に上へ引き上げる。OB・西川愛也を参考にしたフォームから、最初から肩の高さまでバットを上げて構えるようにした。
「前のフォームに戻しただけなので、逆に力が抜けて構えやすかったですね」
木製バット対応の極意は、強く振り切ることだった
木製バットを持つ韮澤雄也(花咲徳栄)
このフォーム改造がはまり、甲子園では明石商の2年生エース・中森俊介から3打数1安打を記録。1つ結果を残したが、試合には3対4で敗戦。韮澤の最後の夏は甲子園初戦で終わりを告げた。
「接戦になるのは予想していました。チームの成長を見ることはできたのですが、とにかく悔しいという気持ちはあります」
その後、韮澤は代表選出をされるまでの期間中に木製バットへの対応をテーマに掲げた。
「4月の研修合宿の時から『しっかり準備しておけ』と言われたので、バッティング練習とかで準備をしていました」
他にもノックを受けるなど、後輩たちの練習に交じって着々と準備を進めてきた韮澤。では木製バットへの対応をするべく、何を意識したのか。韮澤の考えを聞いた。
「フォームを変えることはなかったですね。変えたといえば追い込まれてからのバッティングです。金属だったら追い込まれてから当てに行くようなバッティングでも抜けてくれましたが、木製バットでは全然飛ばない。なので、当てに行かずに強く振る。しっかり振り切ることを大事にしてきました」
こうして迎えた8月20日、韮澤は正式に高校日本代表に選出。自身の野球人生で初めて日の丸を背負うこととなった。
「日の丸を背負うことへの緊張もありましたが、レベルの高いメンバーと一緒にできることの嬉しさも同時にありました」
そして8月22日からの国内合宿に参加。この段階から一塁手としての起用を告げられていた。
「驚きでした。(聞いてから)すぐにチームメイトの中井大我に話を聞きました。それでも連携が多く難しかったですね」
慣れない守備に少しずつ順応していった韮澤。そしていよいよ韮澤にとって初めての国際試合が幕を開けたのだ。
前編はここまで。後編では次回は初の交際試合について語ってもらいました。後編もお楽しみに。
(取材=田中 裕毅)