平良 海馬(埼玉西武ライオンズ・投手) 最速156キロの原動力は八重山商工時代の猛練習
令和という新しき元号を迎えた2019年のプロ野球で、高卒2年目・1999年度生まれの選手たちが躍動している。現在、セ・リーグの本塁打・打点部門2冠を見据える村上 宗隆(東京ヤクルトスワローズ・一塁手兼三塁手)を筆頭に、外国人選手1名を含む支配下登録選手34名(セ・リーグ17名、パ・リーグ17名)中、19名(セ・リーグ10名、パ・リーグ9名)が早くも一軍の舞台を踏み、それぞれの舞台で活躍を続けている。
そこで、今回はその中で特に将来が期待できる選手を何人か取り上げていきたい。第1回は埼玉西武ライオンズの最速158キロ右腕・平良 海馬(たいら・かいま)を紹介する。
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◆平良 海馬(八重山商工)「進歩し続ける魅惑の快速右腕!」【後編】
伊志嶺 吉盛監督から注入された「負けじ魂」
高校時代の平良 海馬
173センチ95キロの身体をいっぱいに使って投げ込むストレートは最速156キロ。9月2日現在では17試合に登板し1勝1敗1セーブ3ホールド・17回3分の1を投げて18奪三振・防御率3.63の好成績で逆転連覇を狙う埼玉西武ライオンズ「勝利の方程式」に入りつつある平良 海馬(たいら・かいま、1999年11月15日生まれ、右投左打)。そのルーツはメットライフドームのある埼玉県所沢市から遠く離れた沖縄県石垣島にある。
石垣市立真喜良小1年時に真喜良サンウェーブで軟式野球を始め、石垣市立石垣中では八重山ポニーズでポニーリーグ全国大会出場経験も持つ平良は、高校で八重山商工の門を叩く。そこにいたのは中学時代から彼に熱視線を送っていた伊志嶺 吉盛監督(現:日本文理大附(大分)監督)だった。
自営業を営みながら監督業にすべてを注いできた熱血漢。その一方で2006年には大嶺 祐太(千葉ロッテマリーンズ)をエースに春夏連続甲子園出場。離島勢初の甲子園にして春1勝・夏2勝をあげて世間をあっと言わせた「負けじ魂」の選手育成メソッドは、平良にも存分に注入された。
2年夏には早くも140キロを超え、本格的にウエイトトレーニングと向き合った冬を超えた3年春には152キロ。それでも伊志嶺監督は平良にこう諭す。
「自分が目立つためにプレーしていては勝てない」
最速156キロ右腕となった最後の夏、八重山商工の夏は初戦で終わる。ドラフト4位で埼玉西武ライオンズに入団を遂げても、彼の心中には常にその言葉が残っていた。
「チームのために頑張る」信条をこれからも
それから2年、体重を20キロ増やしてすっかりプロの身体となった平良は「チームのために頑張る」右腕として一軍のマウンドへと上がってきた。
7月11日に一軍初登板を果たすと3試合連続で1回をピシャリと抑え一軍に定着。8月2日のオリックス・バファローズ戦では1回3分の1で4失点と打ち込まれプロ初黒星を喫したものの、その後も粘り強い投球で辻 発彦監督から再び信頼を獲得。
その積み上げ場8月23日のプロ初ホールドを獲得。さらに8月27日には自己最速となる158キロ。日没コールドにより転がり込んだ8月28日のプロ初セーブ。そして8月30日の福岡ソフトバンクホークス戦・2球で内川 聖一を抑えてのプロ初勝利となったのである。
それでも平良はこう言う。「抑えることだけを考えて投げた。いろいろな方がつないでくれた1勝なので、大事にしたい」。恩師の言葉をかみしめながら、高校時代は味わえなかった栄冠をつかむため、平良 海馬は「チームのために頑張る」豪腕となる。
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