「考える力」を持っていた諫早(長崎)だからこそ起こった化学反応【中編】
「今年のチームは楽しみ」選手が自分で考える力を信じた3年間! 諫早(長崎)【前編】
元々考える力があった諫早の生徒たち
木寺 賢二監督(諫早)
木寺 賢二監督は、高校野球の指導に関わり二十数年が経っている。ただ諫早の監督に就任してから、生徒に任せる割合が増えたという。
そのきっかけとなったのは、監督就任1年目に指導した当時の3年生達だ。
「当時NHK杯で県大会出場が決まったんですね。その後に次の準決勝で地区大会で負けてしまいました。次の準決勝第2試合が行われる時に生徒たちに『県大会でもまたここは当たるかもしれないから、良く見ておこう』と投げかけたんですね。僕は球場の本部席みたいなとこにいて、ふとスタンドを見たら、生徒たちがいないんですよ。
当時40何名いた部員が、いるべきところ見たら5人ぐらいしかいなくて。でも鞄はずらっと並んであるんですよ。どこ行ったんかなと思って球場全体を見てみたら、結局 ホーム側・一塁側・三塁側・外野の方など散らばって見てるんですね。『何しよっとかな』と聞いたらいや、『それぞれの場所に分かれて見るということを、ちょっとやってみました』と言うので、何かこうこちらから中途半端に指示を出すともったいないなと感じたことがありました。感動しましたね」
この経験を通して、木寺監督は生徒たちに考えを押し付けるのでなく、なるべく考えさせ、行動させる事を再度考え直したという。
「指示を全部出すと(生徒が考えなくても良くなり)思考停止しちゃうので、彼らが考えられるような状況を作れるように。その辺は注意してやっています」
ただし、このような環境が作りやすい素地があったのも、諫早ならではと言える。
諫早の野球部監督に就任する一年前の、副部長をやっていた時の話になる。当時、木寺監督は気になる子や、うまく行っていない子、レギュラー当落線の子たちによく変声をかけていたという。
「(そんな子たちに)気づいたことで話しかけているんですね、そうしたらまずは『そうですか、ありがとうございます』と返ってきます。普通はここで会話は終わるんですけども。『先生ところで』ということで野球に関する別の話がポンって出てくるんですね。『今、話したことの捉え方で、じゃあこういうこともいいんですかね』とか、必ずプラスアルファの質問が返ってきて、こっちから言って終わりにならない。顧問になってしばらく野球の会話が出来るので、楽しくてですね。諫早の生徒は、自分発信の発言や質問というのが多いと感じました」
つまり、諫早だからこそ元々の考える力があったと言える。
[page_break:諫早だからこそ起こった化学反応]諫早だからこそ起こった化学反応
諫早高校校舎
もう一つの興味深いエピソードも紹介したい。諫早で代々キャプテンを選出している方法である。それは、引退する3年生が、次の学年の中から主将を選出するのである。この方法は木寺が諫早の監督に就任する前から採用されていた方法だ。この事に対して、木寺監督も生徒に聞いたことがある。
「『どういう考えて選んだの?』と聞いたらですね『野球が上手い下手じゃなくて、この学年の中でやっぱり前に進んでいけると言うか人望があったりとか、こいつの言うことだったら聞けるとか、そういうしっかりした人間がチームに必要だと思うので野球では選んでいません』というのが最初だったんです。彼らのそういう選び方というのも偉いなあと思いました。何かこうこうこうやって決めなさいとこっちから言うんじゃなくてですね、理由を聞いたらちゃんと返ってくるのですね」
これこそが諫早なのである。木寺監督の「自分たちで考え、行動する」という指導論と、諫早がすでに持ち合わせていた、「考えられる力」がベストマッチしたと言える。
なぜ諫早の生徒は考えられるのか?木寺監督のこのように解釈している。
「諫早も昔[stadium]甲子園[/stadium]に出ていた伝統高校ですから、諫早近辺で(野球を)やるなら、諫早でやりたいっていう子はまだまだ多いですし、向上心を高く持ってきていることはありますから、それが質問とかそういうところに出てくるので面白いなと思います」
進学校でありながら、また野球に対して向上心を高く持ってきている生徒がいる諫早だからこそ、起こり得た木寺監督との化学反応だ。
(取材・田中 実)
最終回は、諫早のスムーズなDNAの継承について考えます。
【後編を読む】諫早(長崎)のスムーズなDNAの継承【後編】