「今年のチームは楽しみ」選手が自分で考える力を信じた3年間! 諫早(長崎)【前編】
諫早の木寺 賢二監督はゆっくりと、しっかりとした口調で話してくれた。
「今年のチームは楽しみなんです」
今回のコラムでは、木寺監督が諫早の監督に就任してからの3年間の軌跡と、そしてなぜ今年のチームは「楽しみなチーム」なのかにフォーカスを当てたい。
選手を信じ可能性を伸ばす
木寺 賢二監督(諫早)
木寺監督の指導方針は、「選手を信じる、そして可能性を伸ばす」このワードに尽きる。とにかく選手自身に考えさせ、自身の考えのもとに行動させるのである。
その顕著な例が、監督就任1年目のエピソードである。
木寺監督は当時をこのように回顧した。
「当時の3年生は年度の途中だったので、突然「練習を考えてみろ」と言われて右往左往したと思います。色々考えはしていたと思うんですけども」
それもそうだろう、今まで練習内容まで自分たちで考えたことがなかった選手に、練習内容を聞くのだ、当時の選手はさぞ驚いたに違いない。何よりも、その後考えてきた練習内容に対して、木寺監督から「なんで?」と、その練習に決めた理由を聞かれるのだ。ときには、雨ならどうするのか?など天候にまで及ぶ。そんな中、チームは確実に変わりだす。
「本当に面白いですよ。キャプテンは時計をはめてグランドに来ていましたし、変わってきてるなぁ、工夫してるなというのは見えましたね」と木寺監督は嬉しそうに話す。
「最後は本当に『今週はですね、週末は雨の予報なのでこの練習を考えています。もし雨が降らんかったら、こうしますから』など細かく言えるようになりました」
これこそが、木寺監督就任1年目の出来事である。
2年目のチームは、そんな先輩たちを見てスタートした。もちろん、去年のやり方を見た上で2年目のチームは、自分たちはどうしたいという意見を持ってきたのである。その姿をずっと見てきたのが当時1年生でもあり、現在最高学年に上がった今の3年生達である。
「去年の夏負けて新チームが発足します。その時からミーティングで、自分たちで目標設定して、この一年をどういう風にチームを作っていこうか、もちろん大会への目標もそうなんですけども、どういう事に取り組んで、どのタイミングで力をつけていくのか、それを自分たちで話し合いながらやってきました」
「当然思い通りにはいかなくてですね、大会ごとに課題が見つかるんですけども。その都度振り返りをしながら、じゃあこうしよう!という風にやってきた子達なので。だから単純に楽しみなんですね」
そう、まさに木寺監督が求めていた、「自分たちで考え、行動する」を3年間やってきた生徒たちだからこそ、楽しみなのである。
では、なぜ木寺監督がそのような指導論を持つようになったのかそのルーツを紐解きたい。
[page_break:そのルーツは高校時代にある!]そのルーツは高校時代にある!
木寺 賢二監督(諫早)
話は、木寺監督の高校時代・佐世保北でプレーしていた時まで遡る。
「自分が最後の夏負けた時もですね、対戦相手チームのキャプテンの子がですね。試合が終わって、『次どうしたらいいですか』と監督に聞いているのちょうど見ていて、監督さんが『ダウンに決まっとるやろ』みたいなことを言われたんですね。それを見ながら、僕の中では自分たちが野球について自分たちで考えてきたからこそ、自分で考えていない相手に負けたというのは悔しくて」
このように木寺監督が感じたのには、実は背景がある。当時の佐世保北の指導者は野球未経験者であった。ただ、そんな中チームを準優勝1回、ベスト8に2回導くなど結果を出してきた、熱意ある指導者だった。木寺監督もそのような環境でプレーしたいたので、練習内容はもちろん自分達で考えおり、野球について考える癖がついていた。
この、「自分たちで考え、行動する」ことが、木寺監督の土台になっているのは容易に想像ができる。
(取材・田中 実)
中編では、諫早だからこそ起こった化学変化について読み解いていきます。
【中編を読む】「考える力」を持っていた諫早(長崎)だからこそ起こった化学反応【中編】