客観的に見ても、「いい雰囲気で練習やっているんじゃないの」と思えるチーム 都立紅葉川(東京)【前編】
この春の一次予選では昨秋に苦杯を嘗めさせられた攻玉社に、28対0という圧倒的にスコアで雪辱を果たした紅葉川。
代表決定戦で都立広尾も下して進出した東京都大会。ここでも勢いは衰えず3回戦では下町のライバルと目している甲子園出場実績もある都立城東も下すなどして、ベスト16入りしてシード権を獲得。明るさをモットーとするチームの紅葉川を訪ねた。
厳しい環境下でも明るく伸び伸びやるのが紅葉川の練習スタイル
練習前のサイキングアップ
東京都大会のメイン会場の一つでもある[stadium]江戸川区球場[/stadium]から自転車で5分ほどのところにある紅葉川。学校そのものの前身は都立家政学校という歴史を持ち、以前は中央区の日本橋兜町界隈に存在した。紅葉川高女などを経て現校名となるが、1986(昭和61)年から現在の江戸川区臨海に移転している。
グラウンドは、通常練習ではサッカー部と併用で、元々それほど広くない校庭だが、三塁後方にはさらにネットを立てるなどして左側は内野だけの35mほど。右もせいぜい70m程度しか取れないということもあって、週末の練習試合は大半が遠征ということになる。
必ずしも恵まれた環境とは言い難いが、選手たちは、そんな環境でも明るく伸び伸びと野球を楽しみながら練習に励んでいる。
現在、紅葉川の野球部は3年生が20人に対して下級生は2年生11人、1年生は8人という陣容だ。チームを預かる田河清司監督は東京都の教員を定年退職し、1年間は保健体育教員としての再任用で勤務していたが、この3月を機に教員という職は辞した。
現在は、「夏までは、ボランティア的に、野球部の監督をやらせてもらっています」と笑うが、実は、下級生が尻すぼみ気味に減少しているのは、「紅葉川で田河監督がどこまで指導されるのだろうか」ということもあった。それが、中学の指導者や親たちに紅葉川という選択肢を躊躇したという背景もあった。
[page_break:着々と進むニュー紅葉川への移行]着々と進むニュー紅葉川への移行
鈴木主将の練習メニュー説明を聞く選手たち
そのことにやや危機意識を抱いて、田河監督自身も、「身の振り方をはっきりさせなくてはいけない」ということで、今年の夏までということを明解に宣言した。そして、そのことで後任人事も明快にして、新チームからは今春に片倉から異動してきた高橋勇士助監督が務めることを公にした。また、同時に今春、都立高島からは松﨑陽介部長、都立小岩からは小張泰幸顧問が異動してきて20代、30代の若い指導スタッフが整った。
「ニュー紅葉川に、上手く移行できると思いますよ」
そう、田河監督は言うが、最後の夏として3年生と一緒に戦う夏へかける意気込みは、高まっている。今春の都大会では、同じ下町の都立校で、何度も壁として立ちはだかられていた都立城東を会心の試合で下して、その意気を示している。
「都立城東にはいい試合で勝てましたが、それよりも去年の秋の一次予選の初戦で、勝てると思った相手に競り負けて、同じ相手とまた春の一次予選で当たって、今度は大勝しました。
その試合で、最初に齋藤大陽が打って、それが勢いになって選手たちも『行ける』感覚を掴んだのではないでしょうか」と、故障を押して冬の練習で大きく成長した齋藤君がキーマンとなって、チームが一つになっていったという。
「元々、力はあるなと感じていた代なので、去年の秋の負けはショックでしたよ。だから、ボクもこのまま終わったらいけないと思いました。それで、こいつらと最後までやろうという覚悟にもなりました」
この夏まで指揮を執るということを決めた本心も明かしてくれた。
秋の敗戦の反省として、やはり打撃力のアップ。ことに、スイングの強化ということがテーマとなった。そこで、長さ1.5m~2mくらいある長い棒をグリップだけバットのようにして、それを平行に振るという練習でパワーアップとともに、スイング力の強化ということに取り組んだ。
具体的には30スイング5セットをノルマとした。こうして、一冬越えて、確実に打撃力はアップした。それが、春季一次予選の初戦での28点にも結び付た。そのことで、「自分たちのやってきたことは間違いなかった」と、ますます自信を持っていったといってもいいであろう。
後編ではさらに具体的な練習メニューについて聞きながら、春季大会で得られた収穫や課題などを選手から聞いていきます。後編もお楽しみに!
(取材・手束 仁)