待っていた25年ぶりの優勝。今年の東海大菅生の象徴・石田隆成!
25年ぶりの優勝を果たした東海大菅生。多くの逸材をまとめるのが主将・石田隆生だ。今年のチームのテーマは「臥薪嘗胆」。センバツ出場発表校直後、その言葉を聞いて、「今のチームにぴったりだなと思いました」と語る石田主将はどんな思いで決勝戦に臨んだのか。
決勝戦へ並々ならぬ思いで臨んだ
石田隆成(東海大菅生)
「秋は勝てる試合だったのに、負けてしまった。甲子園もかかっていたので絶対優勝したかったので本当に悔しかった。」
そう語るのは東海大菅生主将・石田隆成。昨秋の東京都大会の決勝戦で、国士舘の舘歌を聞いている時に悔し涙を流した。しかし今日は違った。
3対3の同点で迎えた9回。一死一、二塁から真ん中に入ってきたスライダーを一振り。打球は左中間へ飛んでいき、二塁ランナーが生還。劇的なサヨナラで東海大菅生が国士舘にリベンジを果たした。
「昨秋の決勝戦でも8回二死一、三塁のチャンスが来た時にセンターフライで倒れてしまい、チャンスの場面で1本が出せなかった。
なので、そういう場面で1本出せるように勝負強さを鍛えてきたので、今日はここぞ、という場面で打てたので成長したと思います。」と自身の成長を口にした。
昨秋の決勝戦で涙を流した石田隆成(東海大菅生)
しかしそれまでの打席はチャンスでことごとく凡退してきた。
「監督としては自分のことを気楽にさせたいと思って8番してくれたんだと思います。前も8番でタイムリーを打っていることがあったので。
自分も2番よりプレッシャーがないのですが、今日の試合はチャンスの場面で多く回ってきた。次のバッターは投手なので自分で決めたいと思って焦ってしまいました。」
普段から詰まるのが嫌で、身体を開いてポイントを前にして打つ。引っ張りたい気持ちがあると石田を語っていた。それと焦りが相まって、7回は一死二塁のチャンスでキャッチャーフライに倒れた。
だが9回の時の石田は違った。
「引き付けて逆方向に強い打球を打とうと落ち着いて考えられていました。そのボールを引き付けられたので一番いいポイントで打てました。あれが自分のバッティングだと思うので、出来て良かったです。」
なんと28日がお父さんの誕生日だったそう。またお母さんから気負わないようにしな、と連絡が来ていたそうだ。お父さんへは誕生日プレゼント、お母さんには期待に答えられるサヨナラ打を打てて良かったと振り返った。
石田隆成(東海大菅生)
石田のサヨナラタイムリーで東海大菅生は25年ぶり2度目の優勝となったが、この大会へ並々ならぬ覚悟を持って東海大菅生は挑んでいた。
「センバツ選ばれると周りから言われながら落選して、やっぱり優勝しないとダメだとチーム全体が思いました。なので春は圧倒して勝つことを目標にしました。」
全国で勝つことを目標にチームは厳しい冬を過ごしてきたが、チームは70名を超える大所帯。チームメイトの意識をまとめることへの難しさを石田は語った。
「AチームとBチームで気持ちに差が出るのですが、寮ではBチームの選手とコミュニケーションをよくとるようにしていました。ただAチームの選手にはBチームの選手にいつも整備をしてもらっているので感謝の気持ちをもってやろうぜと言っています。
やはりチーム全員でやらないと意味がないので、Aチームには厳しくBチームには頑張ろうぜ!みたいな声をかけていました。」
優勝旗を手にする石田隆成(東海大菅生)
また練習ではだらけていれば秋の敗戦を思い出しながらチームを鼓舞するなどして、1日を無駄にしなかった。その結果が優勝という最高の形となった。
この勝利を、「自分だけではなく副キャプテンを筆頭に、周りのサポートもあっての結果です。自分だけの力ではないと思います。自分1人では引っ張れなかったので、みんながついてきてくれたチームメイトには感謝です。」と言葉を残した。
準決勝と決勝は残塁が多く、チャンスで1本が出なかった。もっと点数が取れるはずの試合だったため、そこは課題ではあるが勝つことができたのは成長だと石田は語る。
関東大会で自分たちの力を発揮できれば、と意気込む石田。夏の甲子園に出場するために、関東の猛者たちを相手に全国への1つの試金石にしたい。
文=編集部