クリーブランド・インディアンス フランシスコ・リンドーア選手Vol.1「13歳で決断したアメリカ移住」
メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスのショートストップとして活躍し、プエルトリコ代表として出場した2017ワールドベースボールクラシックでは、チームを準優勝に導いたフランシスコ・リンドーア選手。
そんな彼の幼少期の話からMLBで活躍する現在の話、さらには日本の野球界に対する想いまでを余すことなくじっくり語って頂きました。第1回の今回は、野球を始めた幼少期から、アメリカに移住し、MLBでデビューしたときのお話をご紹介します。
ロベルト・アロマーに憧れた幼少期
フランシスコ・リンドーア選手
――野球を始めたのはいつのことでしたか?
フランシスコ・リンドーア選手(以下、リンドーア):野球をはじめたのは4歳のときでした。兄や父、いとこも野球をしていて、彼らに憧れて始めました。
――プエルトリコはとても野球が盛んな土地ですが、その頃はどんな選手に憧れていたのですか?
リンドーア:ロベルト・アロマー選手(元インディアンス)に憧れていました。彼はいくつものチームでプレーしていましたがインディアンスにいたときのアロマーが好きでした。他の選手を見る機会はたくさんありましたがアロマー選手に一番憧れていましたし、プエルトリコからMLBに来た選手の中で一番好きな選手でした。当時のインディアンスの二遊間はアロマーがセカンド、オマー・ビスケルがショートを守っていました。
――アメリカに渡るきっかけは何だったのでしょう?
リンドーア:いろいろな選手とやりたいし、語学を学びたいということと、アメリカ文化やアメリカに住む経験についても非常に興味があったんです。また、家族のことも考えてアメリカに行ったほうがいいのではという話がありました。ちょっと障害を持っている家族もいて、色々な事情がありアメリカでの生活のほうがいいと感じたんです。
家ではスペイン語だったので、13歳でアメリカに渡ったときに英語の勉強を始めました。
――高校時代(Montverde Academy)はどんな3年間でした?
リンドーア:高校生活は楽しかったですよ。日本の生徒もいましたし、中国や韓国の生徒も学校にいました。高校ではいろんなことを学びましたし、トレーニングもたくさんやりました。今もそこでオフはトレーニングしたりしています。今こうなれたのもそのときの影響が大きいと思います。
――そのアカデミーはいろんな競技に力を入れていたのですか?
リンドーア:いろんな競技に力を入れてましたね。バスケットも強く、この間は中国のチームと試合をしていましたし、サッカーも野球も非常にいい選手がいました。スポーツアカデミー校でもありますがインターナショナルスクールでもありました。
――勉強も大変でしたか?
リンドーア:もちろん勉強も大変でした。学校はいつも8時から15時までで、野球は15時半から18時まで、その後にまた19時から21時まで勉強でした。生徒の45%~50%くらいは学校の寮に住んでいたと思います。その他は通いでしたが。
――他の競技も在学中にやりましたか?
リンドーア:サッカーやバスケなんかもやりましたが、チームに入っていたのは野球だけでした。
[page_break:シーズンを乗り切る体力と技術を身に着けたマイナーでの3年間]シーズンを乗り切る体力と技術を身に着けたマイナーでの3年間
フランシスコ・リンドーア選手
――インディアンスにドラフト1位で指名された時の心境を聞かせてください。
リンドーア:ドラフト指名されたときは夢が叶ったと思いました。そのために頑張ってきましたし、家族みんなで頑張ってきました。アメリカに来て大変なこともありましたから、1位で指名を受けたときはとてもありがたかったです。1位で指名されたことにインディアンスからの信頼も感じましたし、今後を無駄にしたくないと思いました。神様のおかげですね。
――マイナーでの3年間はどういうことを課題においてやってきましたか?
リンドーア:最初はすべてにおいて成長することが必要だと思っていました。毎日ハイレベルにやることに取り組みました。基本は大事ですから、毎日基本練習も続けました。
ドラフトで指名された選手はいい選手だからドラフトされるわけですけど、メジャーのシーズンは162試合くらいあるので、それを乗り切る体力と成績を維持する技術を身につけることが大事です。なので練習をたくさんやりました。メジャーはシーズンを通して150回~185回くらい安定したものを残さなければないませんから。
――メジャーに初昇格をしたときの心境と、メジャーに昇格して最初に嬉しかった出来事は何ですか?
リンドーア:メジャーを目標にしてがんばってきたのでうれしかったですし家族みんなで喜びました。そのとき家族はちょうどマイナーにいる私を観に来てたときでしたが、まだ家に帰れないよと家族に伝えました。メジャーの試合があるシカゴへの遠征に帯同することになり、家族に伝えたら泣いていました。私も涙しました。
メジャーで最初にヒットを打って1塁まで走るとき、転びそうになってしまい、途中からゆっくり走ったことを覚えてます。
Vol.2では名手として知られるリンドーア選手の守備、そして打撃についてお話を聞きました。