作新学院の54年ぶり全国制覇で築いた牙城を佐野日大や國學院栃木が崩せるか(栃木)
全校生徒で3500人前後を有するという全国屈指のマンモス校作新学院が、2016年の夏の甲子園を制した。54年ぶりのことだったが、作新学院は常に栃木の歴史と話題を作ってきた。かつて作新学院は、どうしても達成できなかった甲子園の春夏連続優勝を全国で最初に果たしたのだが、それが1962(昭和37)年のことである。
盤石の強さを見せる作新学院
作新学院時代の江川卓投手(写真提供:手束仁氏)
その作新学院がもう一度全国的にスポットライトを浴びるのは、それから11年後に江川 卓(法政大→読売)という超スーパースターを出現させたことによる。江川に関しては今更述べるまでもないのだが、高校時代の、しかも春のセンバツでのピッチングは間違いなく甲子園史上最高の投手であると言われている。それは、同世代の多くの人が証言者としても意見を述べているし、北陽(現在の関大北陽)や今治西という野球どころの強豪があれだけ面白いように三振をしてしまうという事実からも、いかに速かったのかということは察知できるのではないだろうか。
もっとも、その作新学院は準決勝で広島商の奇策に敗れ、夏にも甲子園には出場したものの2回戦で延長の末、銚子商に押し出しで敗れてしまった。それでも、さすがに安打はほとんど打たれておらず、怪物投手であるという評価は変わらなかった。
今井 達也(作新学院)
作新学院は、その後80~90年代には一時的には低迷期もあったものの、小針 崇宏現監督が2年生で出場を果たした2000年春以降、着実に復活。そして、05年春季関東大会を江川以来の32年ぶりの優勝で飾って、完全復活。6年連続出場となった16年夏に再び頂点を極めたのだった。そして、凱旋後の秋季県大会も制して出場した関東大会も優勝。まさに、県内では盤石の強みを示す存在となった。
なお、作新学院は軟式野球部も強く、全国優勝を8度果たしている。グラウンドは硬式と軟式が並ぶような形で練習しているので、両方で試合でもしていたら、眺めは結構壮観である。
作新学院を追う実力校たち
佐野日大時代の田嶋 大樹
2年連続で、夏の栃木大会で作新学院と決勝を争ったのが、國學院栃木である。県南部の栃木市に位置し、比較的大規模校でスポーツも全般的に強い。ラグビー部と女子バレーボール部は全国の常連校でもある。野球部は、作新学院と同時出場を果たした00年春に4強に進出した。しかし、以降はあと一歩甲子園には届いておらず、復活の出場を願う地元の期待も大きい。
近年、佐野日大も田嶋 大樹投手(関連記事)を擁して14年春に甲子園で4強進出を果たしている。國學院栃木と共に作新学院を追う存在だ。栃木県内だけではなく、埼玉や群馬などの隣接県はじめ県外の進学者も多く受け入れている。また足利市では白鴎大足利が気を吐いている。近年では08年夏と14年春に甲子園出場を果たしているが、足利学園時代を含めて春1回、夏3回の甲子園出場実績がある。
県内では、文星芸大付も一時代を築いた。03年に宇都宮学園から校名変更したが、06年と07年夏に連続出場を果たしている。宇都宮学園時代には1961(昭和36)年夏に初出場以来、88年には春夏連続出場を果たして、春は4強進出など作新学院をも凌駕する時代もあった。
他には葛生時代の1990(平成2)年夏に出場を果たしている青藍泰斗や、矢板中央なども上位を窺う。
かつては宇都宮工や小山、宇都宮南が準優勝を果たすなど公立勢も甲子園で実績をあげていたが、宇都宮工は02年春に、小山は03年夏に甲子園出場を果たしている。地元では「さわやか宇南」と呼ばれて人気のある宇都宮南は05年夏、08年春にそれぞれ出場を果たしている。宇都宮商も13年春に出場を果たしている。
近年は、作新学院が抜けた存在としてリードしており、それを追うのも私学勢だが、伝統のある公立勢もこうして健闘している。
16年秋季県大会では石橋が準優勝を果たして、作新学院の牙城に挑んで注目された。作新学院の全国制覇で、県内の高校野球関係者は大いに勇気づけられている。その一方で、作新学院の独走をどこがどう止めていけるのか、それもまた興味深いところである。
(文:手束 仁)
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