桐生一を追い越した健大高崎と前橋育英が新2強として引っ張る(群馬)
群馬県の高校野球というと、かつては県立校の桐生が圧倒的な勢力を誇った。その桐生には稲川 東一郎氏という伝説の監督がいた。「ユニホームを着たまま死にたい」ということをいつも口にしていたようだが、その思いを遂げたというか、結局グラウンドで他界した。そして、その遺志を継いで桐生高校野球部は名門であり続けた。
前橋工と前橋商業が強豪県・群馬を築き、桐生第一が群馬勢として初優勝
上毛敷島球場
その後は、甲子園での実績ということでいえば、前橋工が3年連続で甲子園のベスト8に残るなど安定した実績を残した。かつて、ベスト4にも3度進出している。甲子園での実績という点では、桐生以上といってもいいかもしれない。やはり、古い伝統校だけあって、地元では安定した人気を誇っている。渡辺 久信(西武→ヤクルト、西武監督、現SD)をはじめとして、プロへも逸材を多く輩出している。工業高校ということで、硬派という印象も強い。
これに対して、商業高校の雄といえるのは高校野球では前橋商と高崎商の両校だ。なかんずく高崎商は地域的にも、工業の街・前橋、繊維産業の桐生に対して、商業の街・高崎というイメージがある。商業高校だけに女子生徒も多いが、部活動は盛んだ。女子バレーボール部など女子の運動部も実績を誇っている。
そんな歴史を担う群馬県だが、全国の頂点に立ったのは20世紀も末の1999(平成11)年夏だった。桐生一が正田 樹投手(日本ハムなど)を擁して、県勢悲願の全国優勝を果たした。これは、女子校の桐ケ丘から校名変更して、野球部強化として招聘された福田 治男監督の14年目のことだった。
「投手というのは作るものではなく、育つものなんです。それが、間違った形になっていれば修正しますが、そうでなければ自由にやらせています」
そういう福田監督の信念ともいえる方針である。だから、桐生一の選手は大学社会人など、上で活躍していく選手も多い。練習そのものも、実戦型の内容がほとんどだ。
桐生一の全盛時代に台頭を示してきたのが、前橋育英と通称健大高崎の高崎健康福祉大高崎だった。前橋育英は、春季県大会や秋季県大会を勝ちあがり、関東大会の常連になっていた。しかし、なかなか甲子園には届かず、初出場は2011(平成23)年春まで待つことになった。勇んで挑んだ初の甲子園だったが、初戦でこの大会準優勝することになる九州国際大付に1イニング3発の本塁打を浴びるなどで完敗。全国の壁の厚さを実感させられた。
前橋育英・健大高崎の2強と桐生一が引っ張る現在の群馬
健大高崎スタンド
しかしその2年後の夏、悲願の選手権初出場を果たすと、エース高橋光成(関連記事)の粘りの投球で初戦を岩国商に1対0で辛勝すると、それで勢いに乗った。樟南にも1対0。そして3回戦で名門横浜に快勝すると、スイスイと勝ち上がって気がついたら決勝進出。決勝でも、延岡学園を下して初出場初優勝の快挙を果たした。
現在は、その前橋育英と、県内では双璧的立場となっているのが健大高崎だ。初出場は前橋育英に半歩遅れたが、11年夏だった。開幕試合となった初戦で今治西に粘り勝ち、2回戦でも横浜に食い下がってその存在感を示した。さらに、その年の秋季大会も勝ち上がって翌春のセンバツにも出場すると、あれよあれよとベスト4に進出した。思い切ったベースランニングを仕掛けてくる徹底した機動力野球は、盗塁という現象だけではなく、塁に出たら何か仕掛けてくるぞということで、相手にプレッシャーをかけていくというスタイルだ。甲子園に新しい野球スタイルを示したとも言われたくらいだ。
14年夏からは3大会連続で出場を果たし、この秋は県大会で両雄が競い合った。そして、ともに進出した関東地区大会でもベスト4に進出。明らかに群馬県の勢力構図が変わったことを示した。
もっとも、桐生一もその間隙を縫って、14年春と16年春に出場している。
こうしてみてもわかるように、群馬県の構図は前橋育英と健大高崎の2強に桐生一の3校が抜けている。これを、私学勢では91年、92年夏に連続出場している樹徳や関東学園大附に、前述の伝統ある前橋工や前橋商、高崎商の公立実業校が追いかける。さらには、桐生市商や太田商から校名変更した市太田なども健闘している。
また、公立普通科校としては県内を代表する進学校の高崎や前橋といった伝統校も追随している。沼田や、大物食いの定評がある伊勢崎清明なども、今後の中では一気に浮上する可能性もあるところだろうか。
(文:手束 仁)
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