東北楽天ゴールデンイーグルス 松井 裕樹投手【前編】「順応性とプロフェッショナリズムと」
今、東北楽天ゴールデンイーグルス「背番号1」の勢いが止まらない。今季から与えられたチームの守護神=ストッパーとしての役割。プロ野球史上初の10代で33セーブ、シーズン中も防御率は0点台をキープ。シーズン終了時点で63試合に登板し、防御率は驚異の0.87。さらに現在、行われているプレミア12でもクローザーとして登板し、邁進を続ける松井裕樹投手。もともと高校時代から高く評価された実力はもちろんだが、他に要因はないのか。本人の言葉から、躍進の真の要因と強みを探る。
プロ2年目での躍進
松井 裕樹投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
2015年の高校野球界は清宮幸太郎(関連コラム)、オコエ瑠偉(2015年インタビュー【前編】 【後編】)に注目が集中しているが、同じように注目を集めた選手が2年前にもいた。桐光学園の松井裕樹だ。高校2年で出場した夏の甲子園で、1試合22奪三振(今治西戦・試合レポート)という大会史上最多記録を達成したことは記憶に新しい。その剛腕がドラフト1位で入団した東北楽天ゴールデンイーグルスで今年、再び注目を集めている。
19歳という年齢では異例のストッパー抜擢。さらに10代ではプロ野球史上初となる「シーズン30セーブ」を達成し、シーズンを終了して33セーブと大活躍。とてつもない重圧がかかるストッパーという役割をいきなり課せられて戸惑いはなかったのか。
「先発は昨年のオールスター明けから任されたので、先発投手としての過ごし方に慣れていたかというとそうでもないんです。これが10年間先発投手として過ごしていたらまた話は別でしょうけど。先発の経験が多くなかった分、ストッパーとしての準備などに対して違和感は感じていません」
「プロで先発初勝利した試合など印象に残っていますが、思い出としてであって転機になったわけではありません」と言うように、自信がついた試合やシーンがあったわけではないと言う。現在の活躍は、ストッパーとして毎試合登板するかもしれない毎日を通じ、徐々に準備の仕方や気持ちの持っていき方を身に付けていった結果なのだ。
「今は、フォームのポイントを抑えながら投げていけば抑えられる自信がある程度ついてきました。まずは肩の可動域からブルペンで意識して、マウンドに登る時には完全な状態になれるように意識しています」
ルーキーイヤーとなった昨シーズンは先発、そして今シーズンはストッパー、ともに経験したことでやるべきことの違いも認識している。
「先発の時は、登板日から約1週間を逆算してその日やることをこなしていきます。でも抑えは試合後から次の日の試合前までに全部をやらなければいけない。大事なこと、優先すべきことをピックアップしてやっていく違いはあります」
もともと先発投手としての資質を評価されてプロ入りしたはずだ。それが2年目にいきなりストッパーになって結果を残すというのは、並大抵のことではない。「三振が取れる」「厳しい場面になるほど真価を発揮できる」という評価がストッパーに抜擢された理由だが、プロ1年目に先発で勝てなかった間は、食事も喉を通らず、誰にも会いたくなくなるほど追い込まれる経験をした。
それからわずか1年での躍進。その裏には松井投手が持つ「順応性」と「プロフェッショナリズム」があった。
高校時代からあった「順応性」
桐光学園時代の松井 裕樹投手
ストッパーとしての毎日を経験して方法論を編み出しながら、同時に結果も出し続ける。どちらかひとつでなく、両方ができるのは類稀な「順応性」があるからだ。
ルーキーイヤーは、プロ野球のストライクゾーンに手間取った。
「苦労しました。1年目のシーズン終盤は自分でも手ごたえを感じることができましたが、それはボールゾーンの空振りが増えてきたからだと思うんです。と同時に、プロのストライクゾーンに慣れてきたというのもありますね。それぐらい高校野球とは違いました。自分は高校野球に慣れている部分があったので、投げた瞬間にストライクだと思ってしまう。それがボールと判定される。テレビ中継もよく見ていたのですが、自分がいいコースに投げてボールと判定され、“あぁ~…”と思ってしまっていました」
ピッチャー心理として、それまで広がっていたストライクゾーンが狭くなれば、コースが甘くなりがちになるのは想像に難くない。それまでストライクになっていたコースがボールになり、カウントを悪くすればより投球も置きがちになる。カウントを整えられない苦しさに、甘い球を狙い打たれる悪循環。この考えただけで怖くなるような条件を、プロ1年目で克服し、さらにボール球を空振りさせるようになるまでになったというのは、順応性が高いからにほかならない。
順応性は、実は高校時代からも窺い知ることができる。
松井投手は中学時代、青葉緑東シニアで3年時に全国大会で優勝した経験がある。当時投げていたのはストレートとカーブ。現在、松井投手の代名詞ともいえる武器・スライダーは投げていなかった。
「スライダーは高校1年から投げ出しました。誰に言われるでもなく自分で考えて。単純にまっすぐとカーブだけ投げてきて、相手のレベルが上がったことで通用しなくなったというのが最初の動機です」
桐光学園に進学後、1年生から練習試合などに登板した。そこで強烈な経験をする。
「取り組みだしたのは1年の梅雨時ぐらいだったでしょうか。夏前って県外の強豪とたくさん試合をするのですが、その年(2011年)夏の甲子園で優勝した日大三高さんや、(春季関東大会で優勝した)習志野高校さんと試合した時に打ち込まれて。その経験から、さらにレベルアップするためには、スライダーをマスターするのが一番簡単かなと」
そして、スライダーをたいした時間を要さずにものにしてしまう。
「人それぞれでしょうが、それなりに野球を経験してきていたので。試合で投げていないからといって、全く投げられないわけではないと思うんです。たとえまっすぐとカーブしか投げていないピッチャーでも、スライダーを試そうとしたことは何度かあるはずです。その“投げてみたい”という思いが本気で“投げよう”という思いに変わるかどうか。そこから実戦で投げてみたり、バッターの反応を探ったりしながら少しずつものにしていきました」
本人にとっては、さして大きな問題ではなかったということか。逆に、そこに松井投手の順応性の高さが垣間見える。ちなみに、高校時代から変わらない「三振を取る」能力についても、何か大きな壁を乗り越えてつかんだものではないらしい。
「基本になりますけど、まずは腕を振ることだと思います。よくまっすぐとスライダーの腕の振りが同じだという評価をいただきますが、自分としてはあまり苦労した思いはありません。自分としては普通に投げているというだけで、逆に緩く投げるという感覚がわからないんです。常に全力で腕を振ることは、最初からやっていたことで」
新たな変化球を会得しようとする場合、まずはコントロールや変化を気にすることから入るピッチャーは少なくないのではないだろうか。すると、腕の振りはそれらをクリアしてからの課題になる。松井投手の場合は逆。腕の振りありきでスタートする。話は少々脱線したが、三振が取れるピッチャーを目指す球児には、ひとつのヒントとなるかもしれない。
ここまで抑え投手としての日々の過ごし方、また高校時代を振り返りつつ、変化球を習得するために大事な心掛けを教えていただいた。後編ではコンディショニングで取り組んでいること、そして松井投手から高校球児へメッセージをいただきました。お楽しみに!(後編へ続く)
(インタビュー・文/伊藤 亮)