精華vs大和川・教育センター附
ガムシャラに戦った最後の夏
「足は遅いし、どんくさい。でもね、とにかくどんなことでも一生懸命なんです」。
大和川・教育センター附の宇佐崎司監督は、この試合で3塁ランナーコーチを務めた円福寺妙斗のことを話してくれた。苦笑交じり、ただ、宇佐崎監督の言葉の中にはところどころに優しさがにじみ出ていた。
「行けるよ、行けるよ、フルスイング!」。お腹から、ノドから、体いっぱいから円福寺は言葉を搾り出す。3回の時点ですでに声はガラガラ。勝利のために、仲間のために、ひたすら声を枯らし続けた。9回表、大和川・教育センター附最後の攻撃、代打でバッターボックスに入ったときはこの日、一番の歓声が観客席からグランドに届けられた。初球を打ってファーストゴロ。それでも、一塁ベースに頭から滑り込む。宇佐崎監督は「最後に打席に立てて良かったと思う」と愛弟子の勇姿を見届けた。
改編により『大和川』の名前は、この夏が最後だ。宇佐崎監督が関わった同好会時代から11年、最後の夏に選手たちが目指したのは創部以来、未だ成し遂げていない“悲願の1勝”だった。
1回裏に3点を先制された。だが2回表、6番・小寺拓弥、7番・川上駿が連続ヒットでチャンスメイクすると、磯崎太佑の当たりはセカンドのエラーを誘発、1点を返した。さらに3回表、4番・宮田佳明、5番・山岡唯人がヒットで続き、6番・小寺が今度はレフト線を破る2塁打で2者が生還、怒涛の3連打で瞬く間に同点に追いつく。大和川・教育センター附の選手たちは序盤から「悲願の1勝」への執念をグランドで表現した。
だが、精華は粘り強かった。5回裏、2番・青谷将希が詰まりながらもライト線へ2塁打を放つと、5番・中村崇人もバットの芯を外されながらセカンド後方に落とすタイムリー。大和川・教育センター附の先発・辻田悠起も良く投げたが、精華もまた、勝利への飽くなき執念を宿した高校球児たちだった。
試合後、宇佐崎監督は明かしてくれた。「本当は教育センター附属のユニフォームを着なければ行けなかった。無理を言って大和川のユニフォームを着させてもらいました」。昭和38年に開校した大和川高校は、平成23年の入学生徒から学年進行で“大阪府立教育センター附属高校”に改編されている。「ひとり、怪我で出場できなかった選手がいる。それはやっぱり心残りですね。でも、みんな本当に成長してくれた。最初はキャッチボールもロクに出来なかったんですよ(笑)」。敗戦を喫した大和川・教育センター附の選手たちが無言でうずくまる姿を遠めから眺め、宇佐崎監督は静かに微笑んだ。
2つの校名を掲げ、2つのユニフォームをまとった最後の夏。ピンチを迎えるたびにグランドに連呼されたのは「楽しめ!楽しめ!」という言葉。悲願の1勝を目指した大和川の夏は、ひたすら“ガムシャラ”だった。
(文=小野慶太)