「セミがいたから覚えてもらえた」菊地彪吾(金足農OB)が振り返る「あの夏」の反響
「セミがいたから覚えてもらえた」菊地 彪吾(金足農OB)
2018年の甲子園で大きく旋風を起こしたのは金足農だ。強豪校を次々と破る快進撃は多くの高校野球ファンを感動させた。その中心だったのが、エースの吉田 輝星だっただろう。伸びのある剛速球を次々と三振を奪う投球は爽快感があった。ただ当時の金足農はどの選手も個性的で一瞬で吉田以上の話題をかっさらった選手も多い。今回、紹介する菊地 彪吾はそんな選手だろう。
2回戦の大垣日大戦、菊地の背中にセミがついて、そのまま三塁打を放つ。当時の新聞、テレビ報道でもセミがついた菊地が映し出され、SNS上でも大きな話題となった。そんな菊地が振り返る高校時代についてテーマ別で振り返っていきたい。
セミがついたまま三塁打を打ち、大反響
「今、こうして取材をいただけるのはセミのおかげです」
リモート上で語った菊地はそう語る。
秋田市出身の山王中でプレーしていた菊地は、中学軟式が終わった後、秋田北シニアの硬式球に慣れるための「中3コース」に参加。それまでは私学でプレーを考えた菊地だったが、そこで出会った選手たちの多くが金足農進学を表明していた。
「軟式でも結構名のある選手ばかりでしたし、甲子園に行きたかったですし、金足農しかないと思って進学を決断しました」
当初は捕手でプレーしていた菊地だったが、学年が上がるにつれて、外野手としてプレーするようになる。2018年1月、金足農の選手たちは初詣に訪れた時、吉田は絵馬に「全国制覇」と記した。むろん、菊地ら3年生も同じ気持ちだった。
秋田大会を勝ち抜き、甲子園に出場。
「本当に嬉しかったですし、やっと甲子園かと思いましたね」
甲子園練習、開会式と甲子園のグラウンドに立ってテンションが沸いてきた。
「グラウンドに足を踏み入れて、グラウンドを見渡して、いよいよとテンションが上がってきました」
当時の金足農の注目といえば、エースの吉田。初戦の鹿児島実戦で14奪三振。吉田に対しての注目度が大きく高まっていったが、菊地の注目度が瞬間的に吉田よりも大きく上がったのは2回戦の大垣日大戦である。打席に立つと、菊地の背中にはセミがついていた。この様子が新聞、テレビ放送を通じて、大きく映し出され、SNS上で大きく話題となった。第1打席に菊地は三塁打。菊地の背中についたセミはなかなか離れず、三塁に到達してもはりついていた。こうした菊地の全力プレーとセミによって生み出された反響だといえるだろう。
こうして報道されていることについて
高校時代の菊地 彪吾(金足農)
菊地自身、甲子園6試合戦った実感はあるが、セミがいたことで、高校野球ファンにより鮮明に「菊地 彪吾が甲子園で躍動したプレーを見せた選手」と強烈に印象づけた。セミがついたままプレーさせたことは地上波の高校野球特集番組にも放映されて話題となった。
その反響は大きかった。
「そもそもセミがついていることも分からなかったですし、試合後に気づきました。それでも、当時、チームメイトからは何も言われなかったのですが、周りの方からの反響は大きかったですね。試合後は記者の方に囲まれて、聞かれて驚きました。あんなに多くの方に聞かれる経験も初めてでした。
秋田に戻ってからはテレビを見ていた友達からよく言われました。八戸学院大に進んでからもそのことを聞かれますし、前もこの件で放映されて、友達からLINEで見たよという連絡ももらいました」
こうした報道について菊地はありがたいと思っている。
「甲子園出場して3年経ちますが、まだ僕のことを覚えてくれることは大変ありがたいですし、このように報道いただけるとことも嬉しいことです。セミのおかげだと思います」
八戸学院大に進んだ菊地は3年生となり、メンバー入りを目指して奮闘している。卒業後は何らかの形で野球を続けていきたいと思っている。
「金足農に進んだのは自分の中で大正解でした。それぐらい大きな選択です」
なぜ金足農の3年間は正解といえるほど大きかったのか。今度は吉田 輝星やチームメイトの関係性に迫っていきたい。
(取材・文=河嶋 宗一)