「アイツがいれば勝てる」と仲間から思ってもらえるような投手に!山田紘太郎(西尾東)【前編】
愛知県内の公立校としては、近年最も安定して上位進出を果たしている西尾東。昨秋は21世紀枠の代表候補の県推薦校にもなったが、準決勝では東邦に敗れ、学校としても初の東海大会進出を賭けた3位決定戦では、史上稀に見る大乱戦の末に敗退。公立の雄としての悲願は果たせなかった。
そんな西尾東を引っ張るエースの山田紘太郎君。投手としての評価も高いが、その素顔に迫ってみた。
「アイツがいれば勝てる」と仲間から思ってもらえるような投手を目指した秋
山田紘太郎(西尾東)
昨年夏、東愛知大会は決勝進出。本当に、夢にまで見た[stadium]甲子園[/stadium]がそこまで見えてきたということも実感した。
「1年上の先輩のエース(磯村翔吾=現名城大)が絶対的な信頼があって素晴らしかったので、自分としては安心していた」と言う山田君は、背番号10でベンチ入りし、何試合かは投げていたが、正直、まだ下級生ということで、投手としても2番手的存在だった。
だから、決勝の前日にも「食事さえ、喉も通らない緊張した」という現在はバッテリーを組む4番打者の加藤健輔君や、三塁手としてレギュラーとなっていた小柴諒太君ほどの緊張感はなかった。それでも、やはり手の届きかかった甲子園を逃した悔しさはあった。
そしてエースとして迎えた新チームの秋季大会。「アイツがいれば勝てる」と仲間から思ってもらえるような投手になっていきたいという思いで夏休みの練習に励んできた。組み合わせの妙で西三河一次予選と県大会初戦と二度も、夏の決勝で敗れた愛産大三河と対戦することになった。因縁の試合は、ともに勝って、借りを返したどころか、おつりまで与えた。
「戦力的には、こっちが勝っていると思っていましたから、最初から勝てるという意識はありました」
「夏は、あと一歩のところで[stadium]甲子園[/stadium]出場を逃していたので、今度こそ必ず勝って、春のセンバツに出ようという目標を置いていた」と言うように自信を持って挑んだ戦いだった。
悔やんでも悔やみきれない敗戦
高校2年生の秋、春日丘戦での山田紘太郎(西尾東)
愛産大三河を下して勢いに乗ったチームは享栄、至学館と言った[stadium]甲子園[/stadium]出場実績のある私学の強豪にも臆することなく戦って勝利した。自信を持っての準決勝だったが、その前に利き手の人差し指を負傷してしまい、万全ではなかったことは悔やまれる。
準決勝で大敗した東邦戦に対する思いとしては、
「言い訳になってしまいますが、ベストの状態で戦えていられれば…」
それでも、東海大会進出を賭けた3位決定戦がすぐに控えていた。
「そこは、気持ちはすぐに切り替えられました」
しかし、負傷した指はすぐには回復していかなかった。結果としては、中盤で捕まってしまい、大量点を失ってしまう。ただ、味方打線もよく粘って打って食い下がって、リードをキープしていた。9回に満塁本塁打で追いつかれて延長にもつれ込む。延長10回には3点のリードを奪われたが、その裏、加藤君の3ランで再び追いつく。
「3ランを見たときは、ベンチに下がっていたのですが、涙が出てきました」
その時の素直な気持ちを述べてくれた。
結局、チームは延長12回で力尽きて悲願の東海大会進出はならなかった。
「周囲は21世紀枠でのセンバツ出場を期待してくれましたが、自分としては東海大会出場を目標としていたので、ああいった競った試合で勝ちきれないで負けてしまったというのは、ボクたちの弱さが出たのだと思います。あと1勝で、東海大会へ出場できたので悔やんでも悔やみきれません」
これが、3位決定戦を落とした直後の正直な気持ちだった。
前編はここまで。後編では愛知県選抜チームでの出来事や、今後の意気込みについて語ってもらいました。後編もお楽しみに!
文=手束 仁