斎藤 佑樹投手(早稲田実業-北海道日本ハムファイターズ)【前編】「斎藤を成長させた日大三と駒大苫小牧の存在」
2006年夏の甲子園。この年の甲子園は熱戦が多く、今でも思い出深い大会と答えるファンが多い。そう感じさせるのには、斎藤 佑樹(早稲田実業)の存在が大きいだろう。夏は1996年以来の出場となった早稲田実業のエースとして、大阪桐蔭など数々の強豪を破る原動力となった。
決勝戦では駒大苫小牧と対戦。田中将大(ニューヨーク・ヤンキース<関連記事>)と投げ合いを行い、延長再試合を経験。そして再試合を制し、全国優勝を掴んだ。優勝するまでの斎藤の熱投、ハンカチを取り出して汗をぬぐう仕草は全国の高校野球ファンの心をつかみ、ハンカチフィーバーを起こした。今回は、斎藤の成長の歩みについて、和泉 実監督に話を伺った。
課題だったメンタルコントロール
早稲田実業時代の斎藤 佑樹投手(北海道日本ハムファイターズ)
斎藤は群馬・生品中時代、関東大会ベスト8を経験するなど、群馬県では名の知られた逸材だった。和泉監督はそんな斎藤の中学時代を見ている。その時の印象について和泉監督は
「体は大きくないけれど、良い球を投げる投手という印象を受けました。また打撃も良かったですし、投手がダメでも野手でもできるかなと思いました。ただ、まだその時は、プロに行くイメージは沸いてこなかったですよ」
早稲田実業の受験に合格し、晴れて早稲田実業の門を叩くことになった斎藤。最初に苦労したのは野球よりも生活面だった。当時、斎藤は群馬県の太田から通っていた。時間でいうと、2時間半もかかる。早稲田実業は学業面との両立をしなければならない進学校である。都内に住んでいた斎藤の兄と一緒に住むまでは、斎藤、そして斎藤を支える親御さんにもかなり負担がかかったのではないかと和泉監督は見ていた。
そのような環境の中でも、斎藤はしっかりと実力をアピールして、1年夏にベンチ入りを果たす。ただ和泉監督にはその時、主力投手ではなく、1年後、2年後に活躍できるためにベンチ入りをさせて、夏の雰囲気を味わせるという意図があった。
「僕はエースになるであろう選手、主力になるであろう1年生選手に対しては、何人かベンチに入れます。斎藤もその中の1人でした」
そんな斎藤は1年秋から主力投手となり、1年先輩の高屋敷 仁投手との二枚看板を組む。まだ1人で任せるほどの実力はなく、高屋敷投手とリレーで投げることが多かった。当時の斎藤の課題はメンタルコントロールだった。
「当時の斎藤はキレやすいところがありました。あからさまにキレる男ではありません。ただ仕草を何となく見ていると、『あっ斎藤はキレているな』というのが分かるんですよね」
怒りの力をプラスにできればいいが、マイナスになっていた。和泉監督もそれについて指摘した。斎藤も冷静に考えると、キレやすいことが欠点というのは分かっていたが、なかなか直るものではなかった。しかし、試行錯誤をしながらメンタルコントロールをすることが大事だと和泉監督は言う。
「これはそう簡単に直るものではないですよ。斎藤以外にもこういう選手はいました。しかしなかなか直らなくても、直す努力が大事。それをやってきたことが最後の夏につながったんです」
2年夏の日大三戦のコールド負けと神宮大会の駒大苫小牧戦が転機に
和泉 実監督(早稲田実業)
2年夏。初めて背番号「1」を付けて夏に臨んだ。このころもまだカッカするところはあった。それでも和泉監督が斎藤に背番号1を付けさせたのは、投手としての能力の高さに期待していたからだ。
「見た目のボールについては斎藤が上で、投手としての精神的な強さでは高屋敷でした。斎藤の投げ込むボールに期待して、一本立ちしてほしいという思いから背番号1を付けさせました。また高屋敷も、背番号1から外れた悔しさをバネにして取り組んでくれることに期待していました」
斎藤は西東京大会準決勝進出まで導く活躍を見せるが、準決勝では日大三高に打ちこまれ、1対8でコールド負け。屈辱的な負けを味わった斎藤は、内角直球を磨くことをテーマに取り組んだ。
それが成果となって現れた。2005年秋の本大会準決勝で日大三と対戦した斎藤は完封勝利を挙げると、決勝戦でも勝利し、明治神宮大会出場を決めたのであった。都大会の投球を振り返って和泉監督は、
「まだ都大会の序盤の時は調子が上がっていない状態だったのですが、勝ち進むごとに良くなっていきましたね。特に日大三戦は素晴らしい出来でした」
エース・斎藤の大活躍により、選抜出場へ大きく前進していったのであった。
都大会の後に行われた明治神宮大会。この大会は斎藤にとっても、早稲田実業にとっても大きな経験をすることになる。準決勝まで勝ち進んだ早稲田実業はその年の夏に、夏2連覇を達成した駒大苫小牧と対戦。早稲田実業は4回表まで3点リードしていたが、4回途中から登板した田中将大になんと13三振を喫し、さらに斎藤も5点を取られて逆転を許してしまい、決勝進出はならなかった。だが、駒大苫小牧と戦って学んだことは非常に大きかった。収穫は全国レベルの相手を肌で味わったことだった。
「今までの彼らは、東京でしか戦っていないから、日大三しか見えていなかった。そこでダントツの力を持つ駒大苫小牧と対戦したことで、初めて全国レベルというものが見えてきた。その冬、駒大苫小牧と対戦したからといって、何か特別な練習をしたわけではありません。しかし彼らが上達へ向けて練習をするときに、駒大苫小牧をイメージして練習するようになりました。例えば打撃練習でいえば、田中をイメージし、投球練習では駒大苫小牧打線を想定して。我々主導ではなく、生徒たちが自ら想像してやるのでは、全く違う。この経験もまた全国制覇へ向けて大きな試合だったかもしれません」
夏では再び日大三を破り、春夏連続出場!
早稲田実業時代の斎藤 佑樹投手(北海道日本ハムファイターズ)
そして迎えた選抜では、ベスト8まで勝ち進む。しかし準々決勝では横浜に3対13に敗れてしまった。選抜の投球を振り返って和泉監督は、
「この時、まだまだ制球にばらつきがあったり、2回戦の関西戦では9回裏に追いつかれて延長再試合に。再試合も、8回裏を迎えるまでは1点リードしていましたが逆転を許して、その後9回に得点してなんとか勝利しましたが、まだその時の斎藤は、ボールに力はありましたけどばらつきがあり、それを狙われて痛打を浴びるということが多かったですね」
だが選抜での経験、そして選抜後の練習試合でも全国レベルの強豪校と対戦する中で、斎藤は着実に実力を身に付けていった。そして夏の西東京大会では決勝で再び日大三と対戦した。3回まで3点を失った斎藤だったが尻上がりに調子を上げていくと、打線も同点に追いつき、延長戦に持ち込む。そして延長11回裏にサヨナラ勝ちを決め、10年ぶりの夏の甲子園出場を決めたであった。
劇的な勝利を決めた早稲田実業。和泉監督は、「チームとして完成してきている感じはありましたが、まだ全国優勝する雰囲気、手応えはなかったです」
と当時の状況を振り返った。
後編に続く!後編ではさらに甲子園でのエピソードと和泉監督からのエールをお伝えしていきます。
(取材・構成=河嶋 宗一)
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