高知vs常葉菊川
高知、「役割交代」で38年ぶりベスト8呼び込む
「5回裏、高知高校の攻撃は、9番・酒井くんに替わりまして、奥田くん」
独特のイントネーションで奏でられる甲子園の代打アナウンス。それは関西(岡山)との2回戦同様、酒井祐弥(2年)から坂本優太(3年)へつなぐ高知黄金右腕リレーへの布石。のはずだった。しかし、その後一死満塁から4番・市川豪(3年)がセンターへ大きな犠牲フライを放って追い付いた。その後グラウンド整備を終えても、高知の9番には「奥田」の名がそのまま。坂本優はこれまで杉本大紀が入っていた6番に名を連ねた。
これには理由がある。杉本は初回一死二塁で3番・遠藤康平(3年)の打ち上げたライトフライをテキサスヒットにするミス。その実は通常、甲子園でライトからレフトへ吹く「浜風」ではなく、複雑な風向を示した風に加え、酒井の伸びのあるストレートに詰まったことによって「急に落ちてきた」(杉本)不可抗力が重なったものであったが、続く松木大雅(3年)の犠牲フライで先制点を許す要因となったことで、その後の杉本は4回無死一、三塁で送りバントを併殺にしてしまうなど、明らかに精彩を欠くプレーが続いていた。
「杉本は真面目で一生懸命。だからこそ焦っていた」と感じた島田達二監督は、ここで昨秋明治神宮大会でもスタメン出場した奥田一貴(3年)への交代を決断する。ただ、杉本はベンチに下がっても次に自分ができる役割を十分心得ていた。
「ベンチでは試合に出ている選手たちに打ち方や守り方を『意識させる』声を出しました」。
これは「選手交代」というより「役割交代」と呼んだ方が適切だ。8回裏、彼らが一死二塁から6番・上田隼也の決勝点となるタイムリー二塁打含む2点を奪えたのも、杉本含めベンチの適切な指示があったからこそ。最後は坂本優が4回で被安打わずか2、奪三振8と完璧なリリーフで、高知は優勝した1975(昭和50)年・第47回大会以来、38年ぶり3度目となるベスト8へと駒を進めた。
試合後には「みんなが救ってくれた」とチームメイトに感謝の言葉を述べた杉本。こうして「右投手だったので代打はあると思っていたが、そのまま守備につくことになったので、もう1回がんばろうと思った」奥田も含め、高知はベンチ入り18名が高いモチベーションで明治神宮王者・仙台育英(宮城)との準々決勝へ臨んでいく。
(文=寺下友徳)