創価vs足立学園
吉本(足立学園)
ネット裏にスカウトずらり20人以上、足立学園吉本投手を見守った
球場に向かう道すがら、小学校の入学式に向かう家族を何組か見かけて、やっと訪れた温かさとともに、そんな季節になってきたんだなということを感じていた。この日は気温も上がって、ようやく春の大会という雰囲気になってきた。
そんな[stadium]江戸川区球場[/stadium]のネット裏に、メジャーも含めて10球団以上のスカウト陣20人以上が詰めかけていた。彼らのお目当ては、足立学園のエース吉本祥二君だ。身長186㎝、体重75kgスラリとした体形で、今どきの高校生スタイルなのだけれど、その右腕から投じられる角度のあるストレートに目が集まった。
情報過多の今の時代、アマ球界でも隠れた逸材といわれる存在はほとんどいなくなってしまったといっていい。事実、吉本君にしたところで、雑誌やネットメディアなどにも取り上げられて紹介もされている。
それでも、過去、東京大会の決勝どころかベスト4にも残った記録のない足立学園の投手にこんなにスカウト陣が集まるというのは、それだけ彼の素材に魅力があるということだろう。
初回表に四球とバント処理ミスなどで得た好機に四番一林君が遊撃手横のイレギュラー安打で2者を返して幸先のいい2点をもらってマウンドに立った吉本君。果たしてどんな投球をするのだろうかと、注目していたが先頭の河村君に2―2から左前打を許すと、バントと捕逸で三塁まで進める。小松君の中犠飛で1点を返され、2回にも先頭の柿沼君に右前打を許すと、バントと飛球で三塁まで進められ、捕逸で同点となってしまった。角度のある球がバラツキ気味に来ていて、それを一林君が止めきれなかったというところだろうか。
これで同点となり、3回には3四死球もあって押し出しで逆転を許してしまった。
さらに、5回には2死二塁から六番春原君にバント安打をされると、それを一塁へ大高投してしまって、二走の生還を許してしまった。
しっかりと球を握らないで送球してしまったミスだが、こうしたバタバタを含めて、粗削りで未完成ということは否めないだろう。
しかし、スカウト陣にとっては、それだからこそ魅力ということも言えるのかもしれない。実際、スカウト陣は今の吉本君に完成度は求めていない。それよりはむしろ、時折投じられるズバッとくる目の覚めるようなストレート、これを磨いていったらどんな投手になっていくのだろうかと、そんな思いを託して見つめていたようだ。
小松(創価)
いわゆる、高校野球の無名校からの思わぬ上位指名というのも、かつてはドラフトを見る楽しみの一つだった。
いささか古くて恐縮だが、福山電波の村田長次=その後、兆治(東京=現ロッテ)、成東の鈴木孝政(中日)、西京商の中井康之(読売)、堅田の都裕次郎(中日)、吉田商の関口朋幸(阪急=現オリックス)、鯖江の杉永政信(大洋=現横浜)、峰山の広瀬新太郎(大洋)といったところは、少なくとも当時、中央では無名に等しい存在だった。
もちろん甲子園にも出場していない。当時、決して強豪といわれるところではなかった(成東は県内ではある程度、知られた存在だった)。それでも、後に日本球界を背負う存在になったり、長く活躍する選手になっていったというケースがあったのだから、やはり、選手の素材力を見抜き、素質を見出していくスカウトというのは素晴らしい。とてつもなく、選手の可能性に挑戦していく仕事なのだろうと思う。
現在では、かつてに比べて情報が圧倒的に多く、少しでも好選手とあらばすぐに専門誌やスポーツ紙に取り上げられていくし、こうしたネットメディアでも紹介されていって、素人評論家含めてさまざまな評価を下されていく時代になっている。
ただ、それでも、スカウトたちは、自分の目を信じて、生で見て確認して、そしてどうするのか決めていく。少なくとも、吉本君はそういう中に入っている素材であり、スカウトの見方によって評価も異なってもいるのだろうけれども、粗さとともに大きく化ける期待感とが同居しており、だからこそ得難い逸材として、多くのスカウトを集めたのではないだろうか。
そんなことを思って見ていたけれど、こうして、一人の選手に絞り込んでみていくこともまた、高校野球のもう一つの見方、楽しみ方なのかもしれない。もっとも、同じジャンルのモノカキでも小関順二氏や、安倍昌彦氏といった人たちは、当初からそうしたスタンスでアマ野球を見ている先駆ではあったのだが…。
試合は結局、足立学園は初回の2点のみ。創価の池田君からは2点を奪ったものの、4回に左翼手から登板した1番をつけていた小松君からは代わり端に奪った1安打のみで、攻略しきれなかった。
(文=手束 仁)