福岡ソフトバンク育成1巡目指名・大本 将吾(帝京第五高・外野手) 中村 晃の師匠から学び、柳田 悠岐を追う!
■福岡ソフトバンク育成1巡目指名・大本 将吾(帝京第五高・外野手) 中村 晃の師匠から学び、柳田 悠岐を追う!
10月20日・東京都内のホテルで開催された「プロ野球ドラフト会議supported byリポビタンD」において、福岡ソフトバンクホークスから育成1巡目指名を受けた帝京五高校(愛媛)3年の大本 将吾(外野手・右投左打・186センチ95キロ・B.B凌駕<ヤングリーグ>出身・1998年4月22日生)。その指名挨拶が10月26日(水)16時から愛媛県大洲市にある帝京第五高校理事長室で行われた。
ドラフト前から「僕はプロに入っても鍛えなくてはいけない選手。だから、育成指名でもプロに行きたい」と語っていた大本。ドラフト後、指名あいさつまでの間に改めて両親と話し合い、プロ入りの意思を伝えたことで、挨拶を待つ表情はすでに若鷹のごとく引き締まったものになっていた。
そんな大本の姿を見て、福岡ソフトバンクホークスのスカウト陣も終始和やかな顔に。かつては立命館宇治(京都)監督も務めるなどアマチュア球界への造詣も深く、夏の愛媛大会の弓削商船戦を見て「緩いボールに対して引っ張りに行くのを見て『力が出てきた』と感じた」宮田 善久アマスカウトチーフ補佐は、開口一番「大きくなったね」と引退後も練習と食生活に気を遣いづけ、均整の取れた状態で体重を3キロ増やした彼の姿勢を高く評価。
また、現役時代は市立船橋高(千葉)~中央大~NOMOベースボールクラブを経て2008年巨人育成ドラフト4巡目指名。2011年途中に支配下に這い上がり2012年途中で移籍した福岡ソフトバンクホークスではお立ち台に上るまでに成長した福元 淳史・中四国地区担当スカウトは、彼との出会いから今までとプロ入り後の期待をこう熱く語った。
「春の愛媛大会準々決勝・川之江戦で見た時、打席に入った時の高校生離れした姿と期待感があったし、バッティングには光るものがあった。その後に練習を見せてもらったら肩もあるし、ベースランニングもしっかり走れる。
ウチはファームに「HAWKSベースボールパーク筑後」という最高の環境があるし、彼は性格も真面目なので、柳田 悠岐選手の姿に重ねても3~4年たった時、球界を代表する打者になれると信じているし、はかりしれないのびしろがあります」
福岡ソフトバンクホークス福元-淳史・中四国地区担当スカウトから帽子をかぶせられ笑顔の帝京第五・大本-将吾外野手
その裏には今年4月から帝京(東京)から帝京第五監督に就任したこの人の存在が欠かせない。現在開催中の秋季四国大会でも48年ぶりに同校をベスト4に導いている1985年センバツ準優勝投手、元ロッテオリオンズ投手(1989年ドラフト2位で筑波大から入団)。そして母校・帝京助監督も歴任した小林 昭則監督。「自分のドラフトよりも緊張した」と話す指揮官は、続いて大本がここまで到達する過程をこのように話してくれた。
「僕が帝京五に来た時に高校生離れしていたのが大本。僕は言いました。『プロになれるぞ』と。でも、彼は『プロなんて…』という。そこで僕は『評価するのは君じゃない』と。控え目は成長する妨げる要因に時になるので、そこをまず取っ払うことからですね。
練習は当時の大本は左手の返しが早すぎるので、右手だけでティーを売ったり、角度をつける打球、バットにのっけて飛ばす感覚を覚えるために、外野ノックやキャッチャーフライ。ロングティーを打たせてつかんでいくようにしました。
でも、彼は帝京で教えた中村 晃(現:福岡ソフトバンクホークス)と同じで自分自身をよく解っていて前向き。今では木のバットで打っていても飛距離は金属で打っている下級生を上回っています」
事実、3月までわずか4本塁打だった高校通算本塁打はわずか4か月で7本を上積み。鷹の安打製造機を生み出した師匠の教えが、大本 将吾を夢の世界に押し上げた。
そんな彼が目標とするのは「(2012年8月5日・右翼への推定135メートル)プロ初本塁打を映像で見て虜になり、お手本にしていた」筋金入りのファンでもある先輩・柳田 悠岐。そんな憧れの存在に導かれ、これからは背中を追いかけることになる大本は、まずは支配下登録を勝ち取るためのファームでの奮闘し、その先にあるヤフオクドームでの「今回のドラフト会議でメッセージを頂き、改めて確認できた」支えてくれる方々への恩返しを目指す。