鮮烈デビューから1年。埼玉を代表するスラッガー・渡邉 翔大(昌平)が目指す道【前編】
今年の埼玉県を代表する左のスラッガーとして注目なのが、渡邉翔大(昌平)。1年春から4番に座り、早くも長打力を発揮してきた渡邉。
2年秋の県大会までに高校通算本塁打は35本。その飛距離、打球速度の速さは恐ろしいものがある。
そんな渡邉はラストイヤーを迎える。これまでどんな野球人生を歩んできたのか。また自慢の長打力の秘密についても迫った。
遠くに飛ばすことだけは自信があった
渡邉 翔大(昌平)
野球を始めた時から長打力には自信があった。小学校2年生の時、二松学舎大附でプレーしていた父の影響で野球を始めた渡邉。左打ちになったのは小学校3年生からで、「父が左打ちでしたので、僕も自然と左打ちになっていました」と振り返る。
高砂ヤンキース時代のポジションは投手。中学に進み、草加ボーイズに入団。草加ボーイズでは、投手から始まり、遊撃、二塁、三塁、外野手をこなしながら、最後は捕手として出場した。
打撃は父から教わった
「父から打撃の全部を教わりましたね。構えから最後のフォロースルーに至るまで、すべてを教えてくれました」
中学では自慢の長打力が徐々にレベルアップし、2番打者ながら中学通算25本塁打。今まで一番飛ばした当たりについて、「本塁打ではないのですが、センターが深くてフェンスも高い球場で公式戦を行ったのですが、その最深部のフェンス上部に当てる打球を打ったんです。僕にとっては一番飛ばした当たりだったと思います」
そして昌平に行くきっかけは、黒坂監督の存在があった。
「黒坂監督が僕が出た試合を見ていてくれて、試合後に監督さんと話す機会があったのですが、合った瞬間、雰囲気に圧倒されました。体格もそうなんですけど、オーラを発していた感じがありまして。実際に話をしてみて、監督さんの下でやりたいと思うようになりました」
そして入学すると、1年春からベンチ入り。さらに4番を任される。5番は同じ草加ボーイズでプレーした吉野哲平だった。
「いきなり4番を任されて、何も知らないままやっていたので、楽しくやっていました」
そんな渡邉はいきなり結果を出す。春の地区予選代表決定戦の三郷北戦で本塁打を放った。これが高校初ホームランとなった。
「入ったばかりの1年生が生意気ながらホームランを狙っていました。というのは、同級生の哲平がいきなりホームランを打ったので、僕も打ちたいと思っていて狙ったらホームランとなりました」
ただフルスイングだけでは通用しなかった
渡邉 翔大(昌平)
1年夏も4番打者として活躍を見せるが、そこには、黒坂監督の指導があった。
「監督さんの指導は引き出しが広いですし、内容が濃い。僕はタイミングの取り方が下手でしたので、そのタイミングを取り方やリストの使い方まで教えていただきました」
渡邉は1年夏の準々決勝・本庄東戦で先制3ランを放つ。チームメイトの千田主将は「今までの渡邉の多くの本塁打を見てきましたけど、この1本はとてつもなく大きい当たりでした」と驚く。
北埼玉大会ベスト4入りし、上々の夏デビューとなった。
しかし夏が終わってから相手に対するマークが厳しくなる。入学した当初に比べて、コーナーへ攻める配球が多くなっていく。それでも鋭い打球を放ち、結果を残していく、渡邉だが、内容には全く満足していない。
甲子園を目指して2年夏。準々決勝で春日部共栄戦に敗れ、渡邉も無安打に終わった。
「1年夏も、2年夏も、負けた試合は無安打に終わっていて、悔しさしかないというほど悔しい思いしかありません」
勝負強い4番打者になるために打撃の考え方も変わった。
「1年生の時はただフルスイングすることだけを考えていました。攻めも甘いので、それでも結果を残すことができました。でもマークが厳しくなった今では、それだけで結果を残すことができません。今では低めのボール球に対し、膝を使って逆方向に安打ができるように、また無死二塁の場面では、引っ張って一死三塁にするなど、状況に応じた打撃ができればと思いました。今まで技術的なスキルが低かったんです。
振り返れば、自分はしっかりと打撃フォームを固めて大会に入ったことはなくて、こんな感じでいいかなと試行錯誤しながら入ることが多く、夏も不安を抱えたまま入ってしまいました。自分がウリとするところは長打力であることは分かっているので、土台となる部分を固めることが必要だと思いました」
ただフルスイングするだけだったが、より高い技術を追求することを決めた渡邉。実際に打撃技術を解説してもらうと、非常に高い知識でプレーしていることが分かる選手だった。
前編はここまで。後編ではさらなるレベルアップへ向けて行っている打撃改造について教えてもらいました!後編もお楽しみに。
後編はこちらから!
ホームランだけではなく、勝利のために局面に応じた打撃を 渡邉 翔大(昌平)【後編】
(取材=河嶋 宗一)