目次

[1]怪我の功名で球速が大幅アップ
[2]頭を使い考えた投球で相手を抑える夏

 今季2年目ながら一軍デビューを果たし、中継投手として活躍を見せる遠藤 淳志(広島)をプロへ送り出した霞ヶ浦。そこで今季、注目を浴びているのが鈴木 寛人投手だ。後編では、怪我を起こしてからの日々や練習の取り組み。そして、強豪相手に投げて得た収穫を語ってもらった。

プロ入りした先輩も実践。霞ヶ浦メソッドで素質を開花させた大型右腕 鈴木寛人(霞ヶ浦)【前編】

怪我の功名で球速が大幅アップ



鈴木寛人(霞ヶ浦)

 だが、春を迎えた4月の練習試合で、バントをした時に右手の人差し指にボールが当たって負傷。医師からは挫滅と診断された。「肉が裂けて、爪がはがれてしまい、最初の一週間は痛みがひどくてボールを握ることもできませんでした。

 ただ、ケガをしてプレーができない間も『自分ができることをしよう』と思っていました」と、練習試合ではボールボーイを務めながらイニング間にはポール間を走るなど、チームのために動きながら自身のトレーニングも怠らなかった。

 こうした努力が実を結んだのか、2ヶ月のリハビリを経て6月に復帰すると、「中学時は130キロが出るか出ないか」だったストレートが140キロを突破。招待試合の明豊(大分)戦にも登板し、「当時の明豊には濱田(太貴、ヤクルト)選手がいたのですが2打席をノーヒットに抑えて自信になりました」と、3イニングを投げて無失点の好投を見せた。

 しかし、その後は今ひとつ、調子の波に乗れなかった。2年夏は茨城大会の準決勝で土浦日大に敗戦。秋も準々決勝で藤代に敗れてしまった。

 「夏は少し緊張してしまったところがあって、集中することができませんでした。土浦日大戦はリードされた7回にピンチの場面で登板したのですが、タイムリーを打たれてしまって先輩たちの夏を終わらせてしまい、とても悔しかったです。秋もしっくりと来ない状態が続いていて、変化球が思ったように決まらずに力んでしまいました」

 夏から秋にかけての不調を「フォームがバラバラでまとまっていなかった」と見た鈴木投手は、この冬、基本からやり直した。「もう一度、『立ち』『うねり』『はがし』『受け』の動きを確認するために、クイックやセットも含めてかなり棒振りをやり、特にリリースを意識してシャドウピッチングを繰り返しました」

 また、フォームに関しては他の様々な部分でも修正を行っている。「自分はヒジが伸びてアーム式になってしまう悪いクセがあるので、ヒジを曲げて上手く使い、体の近くを通して投げるように意識しています。それから、角度を活かせていなかったので、ピッチングで踏み出す時の歩幅を変えました。元々、7歩だったのを5歩半にしたら短すぎたので、今は6歩ちょっとで投げているのですが、打者が打ちづらくなったようでゴロが増えたように感じています」