伝統校に現れた本格派左腕が佐倉に進学した理由 齋藤 正貴(佐倉)【前編】
千葉県の21世紀枠推薦校に選ばれた佐倉。過去にプロ野球選手は長嶋茂雄さん、阪神、ロッテでプレーした好投手・井上貴朗さんなど4人いるが、近い将来、偉大なOBに並ぶ選手になる素質を秘めたのが、エースの齋藤 正貴だ。130キロ前半ながら制球力が優れた左腕で、キレの良いストレートと落差が鋭いスライダーを織り交ぜる投球は高い将来性を感じさせる。
長く高校野球を指導する佐倉・堀内幹仁監督からも「投手として素材は歴代でも上位」と評する。そんな齋藤の歩みを振り返りつつ、強みである制球力の秘密に迫っていきたい
佐倉入学の理由は21世紀枠で甲子園に行きたかったから
将来性を感じさせる左腕・齋藤 正貴(佐倉)
目に見える球速や、実績で勝負ができる投手ではない。ただ齋藤正貴はこの夏、大学進学以降で脚光を浴びる可能性を持った左腕だ。
あまり騒がれないが、齋藤は好投手と呼ばれる条件が揃っている。
・フォームの再現性が高いこと
・出所が見にくい投球フォームをしていること
・変化球でいつでもストライクが取れること
・コントロールに苦しんだ経験がないこと
加えてストレートの球速が130キロ前半、サイズも178センチ65キロと華奢で、これからの体づくりによって、大化けする可能性を感じさせる。
そんな齋藤の歩みを振り返っていくと、野球を始めたのは小学校4年生からだ。西志津クラブに所属すると、中学は四街道シニアでプレーする。
自身、変化球の制球力の高さには自信を持っているが、それはシニア時代の経験が生きている。
「まだストレートが速くなくて、変化球に頼っていた感じです。変化球の方が投げやすいですし、そこからコントロールに自信がつきました」
また中学生の時から勉強にも目覚めた。きっかけは2学年上の姉の影響だ。「自分は負けず嫌いだったので、姉よりも良い高校に行きたいと思っていました」と勉強に取り組み、進学校に行ける学力が身に付いた。佐倉高校進学のきっかけについてこう語る。
「佐倉と他の進学校を候補に入れていました。同じ進学校に進むにしても、21世紀枠で行ける学校に進みたいと思っていました。その中で、佐倉は長嶋茂雄さんの母校でもあり、勝ち進めば、21世紀枠推薦校に選ばれるかもしれない。そういう思いで佐倉に進学することを決めました」
佐倉に進学すると、早くも環境の違いに驚く。
「正直言うと、シニアよりも練習時間が短いしきつくないので、最初はビックリしました。シニアの時は朝6時半集合で、夕方5時6時まではやってましたから、高校に来て『午前練』と聞いた時はビックリしました」
練習は自主練習でメインだったので、先輩からメニューを教わり、練習試合では投げないときはトレーナーから体幹を鍛えるトレーニングを教わると、いつのまにかストレートの球速は120キロ台から130キロ台にまで速くなっていた。
2年秋では2試合連続完投勝利!しかしアクシデントが…。
力投する齋藤 正貴(佐倉)※2018年秋季千葉県大会 習志野戦より
1年秋から公式戦のマウンドを経験し、2年夏では背番号「1」としてマウンドに登る。四街道北戦では9回途中まで4失点に抑える力投を見せたものの、習志野戦では実力を発揮できず、2回戦敗退に終わる。
「マリン(スタジアム)で投げるのは初めてで、しかもすごく暑かったのでボーっとしてしまって、そこに相手の応援も加わったので、圧倒されてしまいました。自分の力があまり出せず悔しいマウンドでした。」
そして新チームがスタートして、「21世紀枠を狙う最後の年だったので、夏の悔しさを糧にして、秋の大会にぶつけようと思いました」と意気込んだ。
秋はエースとして期待通りのピッチングを見せていく。まず初戦は最速138キロ右腕・綾部郁海擁する我孫子と対戦し、完封勝利。
「なかなか相手投手を打ち崩せなかったので、自分が抑えないといけないプレッシャーがあって、いつも以上に疲労を感じられた試合でした」と振り返った。
さらに代表決定戦の我孫子二階堂戦でも完投勝利を挙げ、ついに県大会出場を決めたのである。
堀内監督は「齋藤もいて、夏の経験者も多く、高いレベルを目指せるかなと思いました」と、上位進出へ向けて色気を見せていた。
しかしここでアクシデントが。地区予選と県大会までの練習試合の間に腰を痛めてしまったのである。
前編はここまで。後編では腰の治療から復活を遂げた斎藤のピッチングのウリである制球力の高さに迫っていく。
文=河嶋 宗一