「その指導で、子どもは本当に野球を楽しむことができていますか?」――教育者・工藤勇一さん【『新しい高校野球のかたち』を考えるvol.3】
工藤 勇一さん
学校教育において、子どもたちの民主主義を実践してきた工藤勇一さん。
麹町中学の校長時代、生徒たちが主体的に学校運営に関わり、生徒たち自ら学校改革を進めたことで注目を集めた。2024年3月までは、横浜創英中学・高校の学校長を務めた。
そんな工藤さんは、20代後半~30代までは、中学校の野球部監督として、野球の指導にあたってきた過去がある。
その後、野球との距離は遠のいたものの、昨今、新しい高校野球を目指す指導者が増える中で、教育界に一石を投じてきた工藤さんに、高校野球だけでなく、学校スポーツ界全体に対して思うことを率直に伺った。
「ぼくが、日本のスポーツ界について述べるのは、このタイミングなんだろうかという思いはありますが」と一言置いた上で、工藤さんの考えを語っていただいた。
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自分の価値をあらゆる人に押し付けていませんか?
工藤さん:相変わらず、日本では戦後をいまだに引きづっている競技がいくつもありますね。一度、人々の心に染みついてしまった価値観というのは、戦争が終わっても、しばらくその国に残り続けてしまうと言われています。戦争というものはそれくらい重たいものだということです。
世の中が平和になって、どれだけ社会や制度が変わっても、何十年もずっと引き継がれてしまうんですね。
例えば、学校の運動会もそうですけど、戦時中は、団結や士気高揚を図るために利用されてきましたが、現在の学校でも、いまだにその頃の価値観を引きずっています。戦うことに価値を見出し、努力することに価値があるとか、何かを実現するために目標を立てて、工夫していく姿がとても重要だなど、教育的な言葉を並べていく。結局は、大人側からの価値観を子どもたちみんなに押し付けています。組体操やマスゲームなどは象徴的な種目ですね。
学校スポーツにおいては、『人間を育てる』という言葉をよく使いますよね。一見素敵な言葉に見えますが、スポーツを無理やり教育として捉えていることには無理があります。
スポーツというものの本来のあるべき姿をいまだに日本では問えないんです。そこに価値をつけて、あらゆる人に押し付けようとする。スポーツに対する根本的な問題が日本にはあります。
もちろん、人それぞれの価値観だから、スポーツを教育として捉える考えはOKなわけです。教育的な意味があるよねって考えるのも大事だし、素敵な人間になるためにスポーツは重要だと考えるのも意味がある。でも、その価値観をみんなに、押し付けるという点が問題なわけです。
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