東海大相模時代に“140キロカルテット”の一人として注目を集めた佐藤 雄偉知。191センチの大型右腕として高く評価され、高校3年時に行われた2014年ドラフト会議では中日ドラゴンズから育成1位指名を受けた。だが、将来を見据えて入団を断り、社会人野球の名門・ホンダ鈴鹿に進む決断を下した。
高校時代に育成指名される逸材であれば、社会人野球の舞台でも活躍する姿が想像できるだろう。しかし、高校卒業後は活躍を聞くことができなかった。
「JABA大会で少し投げたぐらいで、公式戦ではほとんど投げていないですね…」と話すように、ホンダ鈴鹿時代は故障や病に苦しみ、目立つ活躍ができないまま、現役を退くことになった。現役引退から約5年、佐藤のホンダ鈴鹿時代に迫る。
<前編>「今でも後悔はない」“東海大相模140キロカルテット”の一角が明かすプロ入り拒否の真意
入社直後に右肘を故障…
将来の支配下指名を目指し、中日ドラゴンズへの入団を断り、次のステージに進んだ佐藤。高校卒業後は大学に進学するという選択肢もあったが、社会人野球の門を叩いた。
「家庭の事情があり、大学に進学するとバイトをして、お金を稼がなければならず、加えて学業にも取り組まなければなりません。働きながら、野球ができるという点で社会人野球を選択しました」
社会人野球チームから、いくつかオファーがあった中で、早くから声をかけてもらっていたホンダ鈴鹿への入社を決めたという。
入社直後は高校を卒業したばかりということもあり、フィジカル強化をメインに取り組んでいた。1年目の夏からようやく実戦で投げ始めたが、右肘を痛めてしまう。手術は行わず、保存治療でリハビリに励んだものの、ほとんど投げられないまま、社会人1年目を終えた。
2度の大病、そして右肩の故障
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