目黒日大vs都立城東
目黒日大が鮮やか! 8回に代打の二塁打で都立城東に逆転勝ち
8回に逆転の二塁打を放った、目黒日大・中平貫太君
<春季高校野球東京都大会:目黒日大4-3都立城東>◇5日◇2回戦◇S&D昭島
初戦では、東京都市大付を4対1で下した都立城東と、日大桜丘を6対3で下した目黒日大。ともに、いい形で勝ち上がってきたといっていいであろう。
都立城東は1999年と2001年夏に甲子園出場を果たした実績がある、都立の強豪校である。01年の出場当時に4番を打っていた内田稔監督が現在はチームを率いている。目黒日大は、かつては日出女子学園という校名時代には山口百恵や原田知世らの芸能人を多く輩出していたということでも知られている。当時から女子ソフトボールなどは強豪だった。その後、共学校として日出学園となり2019年に日大傘下となり現校名となった。
初回、ともに死球で走者を出し、盗塁もあって走者を進めたが無得点。3回までは、目黒日大の1安打のみだったけれども、4回に試合が動いた。
この回、都立城東は先頭の3番北見が右中間へ三塁打。続く4番若山主将の右犠飛で先制した。さらに、松尾も安打してバントで進み四球もあってチャンスを続けていったが盗塁死で終わった。その裏、目黒日大は4番灘山が三遊間を破って出塁すると、四球と織田の安打で満塁として、代打中嶋のスクイズ(記録は野選)で同点とした。しかし、その後は都立城東の篠原投手が抑えた。
こうして1対1のまま、後半に突入していった。目黒日大は継投で、5回には井上投手から齋藤 光純投手につないだ。そして7回、都立城東は四球と1番佐瀬の左前打で1死一、二塁とすると、続く中村の中前打で二塁走者をかえす。さらに、2死三塁となったところで北見がボテボテの内野安打でかえして3対1とした。
都立城東の篠原は本来の調子ではないとは言いつつも、制球もよく、7回まで目黒日大打線を散発の4安打1失点に抑えていた。それだけに、都立城東がそのまま逃げ切れるのかと思われた。
ところが8回、目黒日大は先頭の4番灘山がこの日3本目の安打で出る。木川卓見監督は「長打はないので、つなぐ4番」という言い方をしていたが、まさにその役を果たしていたといっていいであろう。死球後、バント失敗もあって1死一、二塁となったが、7番織田が右前打で満塁。ここで、目黒日大はスリーバントスクイズを仕掛けてきたがファウルとなり2死。続く9番のところで木川監督は代打に中平を起用。中平は突然の起用だったようだが、それに応えて左翼越え二塁打で2人をかえして逆転となった。
中平は、「準備もできていない状態での代打と言われて、来た球を行くしかないなと思って、くらいついていったのですが、変化球が内に入ってきたところをうまく打てました」と、喜びがはじけていた。中平は、その後マスクを被り、9回の1点差という厳しい場面で、3人目として投げていた田中 颯投手をしっかりとリードしていった。「先頭に内野安打されましたが、その後は真っすぐを中心として抑えられた」と、捕手としても冷静なリードだったことを話してくれた。
木川監督は、「7回に2点リードされましたが、9回までに追いついていくようにしようということは言いました。中平には、代打で後半行くよということは言ってはありましたけれども、準備していないところでの起用となってしまいましたが、よく打ってくれました。いい意味で変わり者ですから、案外よかったのかもしれません(苦笑い)」と、鮮やかな逆転劇を喜んでいた。
まさかの逆転負けとなった都立城東の内田監督は、「今年のチームは、今のところはこんなもんですよ」と、淡々としていた。そして、「こうした負け方は、いい薬になったのではないでしょうか。学校のグラウンドはまだ改修工事が続いていて、フリー打撃ができない状態でもあるのですが、それは言い訳にはなりません」と、振り返って述べていた。
若山主将は、「ミスが多かったということでもなかったのですけれども、相手に諦めないことの大事さを知らされました。夏へ向けては、主将としては、皆の先頭に立って自信をもってやっていきながら、まとめていきたい」という思いも語っていた。
(取材=手束 仁)