浦和学院vs昌平
森監督勇退決断の浦和学院が3年ぶり甲子園へ
まずはこのことに触れておこう。とにかく衝撃であった。勝敗以上にインパクトがあった。それは決勝戦後の[stadium]県営大宮球場[/stadium]での監督インタビューでのことだ。
「まだ選手にも言っていないんですが、この夏の大会をもって監督を退任しようと思っています。野本氏から野球の魂の炎を点火していただいて、(中略)30年間見守っていただいて応援していただいた埼玉県の高校野球のファンに深く御礼を申し上げます。選手達も、うすうすは気付いていたと思うが、彼らのたくましさに敬意を表します」(森監督)
会場にどよめきが起こった。
この夏で監督を退任することを試合後観客の前で電撃表明した浦和学院・森監督。森監督は試合後改めて取材に応じ
「(きっかけ)一昨年の秋、準決勝の花咲徳栄戦での敗戦後上層部と話し合って決めた。(いつ話すかについて)選手達には急で申し訳ないがタイミングを考えるとここしかなかったと思って」
と、赤裸々に答えた。これまで、埼玉県の高校野球を引っ張る存在として浦和学院に君臨した名将の突然の表明にプレスルームでも緊張が走った。
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県内の新規の新型コロナ感染者593人が発表された翌日に行われた決勝戦は、Aシード・浦和学院対Bシード・昌平の対戦だった。
まずはスタメンだが、昌平は不動のスタメン、一方の浦和学院はスタメンに三奈木亜星(3年)が復帰し試合が始まる。
先発は浦和学院が左腕・宮城誇南(2年)、一方の昌平は
「準決勝で良いピッチングができたので。彼は人一倍練習してきたので、願いも込めて、最後自分の力それ以上の力を発揮してくれたらと思って」(黒坂監督)
という3年生田村廉と両エースが登板し試合が始まる。
先制したのは浦和学院であった。
初回、浦和学院は昌平・田村の立ち上がりを攻め、一死から金田優太(2年)がレフト前ヒットを放ち出塁すると、続く松嶋晃希(3年)の所で浦和学院ベンチはエンドランを仕掛けると、これが見事に決まり一死一、三塁とする。ここで4番・吉田瑞樹(3年)が犠飛を放ち幸先良く1点を先制する。
浦和学院は2回表にも一死から三奈木がセカンドゴロエラー、続く宮城もライト前ヒットを放ち、一死一、三塁とチャンスを広げる。9番・八谷晟歩(2年)のセーフティースクイズは失敗に終わり二死となるが、続く吉田匠吾(3年)がライトスタンドへ3ランを放ち4点差をつける。
これで勢いに乗った浦和学院は、さらに2番・金田がショート内野安打を放ち再度チャンスメイクすると、続く松嶋が四球を選び二死一、二塁とする。ここで4番・吉田瑞がセンター前タイムリーを放ち、さらに1点を追加する。結局この回4点のビックイニングを作り5点差とした浦和学院が、試合の主導権を完全に握る。
一方の昌平もその裏、この回先頭の古賀智己(3年)が四球を選び出塁すると、さらに相手パスボールで二塁へ進み、続く後藤壮太(3年)がきっちりと送り一死三塁とする。ここで2番・川田の所で
「1点ずつコツコツ。終盤勝負」(黒坂監督)ということでスクイズを仕掛けるがファウルとなり、結局三振に倒れると、後続も凡退し無得点に終わる。
浦和学院は3回表にも、この回先頭の三奈木がセカンドへの内野安打を放ち出塁し、すぐに二盗を試みるが、失敗する。それでも、続く宮城が四球を選び出塁すると、続く八谷がきっちりと送り二死二塁とする。ここで1番・吉田匠がセンター越えのタイムリー二塁打を放ち6点差をつける。
昌平もその裏、この回先頭の山村羅偉(3年)が四球を選び出塁すると、すぐさま二盗を決め、さらにキャッチャーの悪送球で一気に三塁まで進む。続く代打・岸望樹(3年)の所で昌平ベンチはスクイズを仕掛けるが、これがまたしてもファウルとなりその後凡退する。それでも、一死後1番・寺山太陽(3年)がショート強襲のタイムリーを放ち1点を返す。
これを受け4回からは両校が継投に入る。浦和学院は継投タイミングを「代理監督」のキャッチャー吉田瑞と森監督のアイコンタクトにより、先発・宮城から右サイド金田にスイッチ、一方の昌平は田村から右サイド吉川優一朗(2年)へスイッチする。
5回表、この回先頭の高松陸(3年)が四球で出塁すると、続く三奈木もライト前ヒットを放つ。さらに、その打球をライトが後逸する間に一走・高松が一気にホームインし7対1とする。
一方の昌平も6回裏、一死から3番・吉野創士(3年)が肘への死球で出塁する。これで投球リズムがやや狂った金田に対し、続く古賀も四球を選び一死一、二塁とすると、5番・後藤がきっちりと送り二死二、三塁とする。ここで、川田悠貴(3年)が2点タイムリーを放ち7対3とし金田をマウンドから引きずり降ろす。
だが、浦和学院は7回表、この回先頭の藤井一輝(3年)が死球で出塁すると、続く高松はショート後方への飛球を放つがショートは捕れず(記録はヒット)無死一、二塁とし、昌平・吉川をマウンドから引きずり降ろす。
粘る昌平もその裏、この回先頭の山村、代打・冨田悠介(3年)が連続四死球で出塁し、無死一、二塁とし浦和学院の3番手・左腕の芳野大輝(2年)をマウンドから引きずり降ろすと、さらに4番手・吉田匠の代わり端を攻め、1番・寺山がショート強襲タイムリーを放ち1点を返すが、続く福地基(3年)が併殺に倒れると後続も倒れ1点でこの回の反撃を終える。
その後は浦和学院が昌平の3番手・左腕の川久保匠(3年)に対し、8番・芳野が一死一、三塁から犠飛を放つと、8回表には4番手・渋谷真宣(2年)に対し、この回先頭の吉田匠の一塁線を破る二塁打を足がかりに二死三塁から吉田瑞がレフト前タイムリーを放つ。9回にも高松がレフトスタンドへソロ本塁打を放ち10点目を奪いダメを押す。
投げては7回途中から登板した吉田匠が強打の昌平打線の反撃を1点で凌ぎ胴上げ投手となる。
結局浦和学院が10対4で昌平に勝利し3年ぶり[stadium]甲子園[/stadium]大会出場を決めた。
まずは昌平だが、この試合、エース田村もやや誤算であったが、一番の誤算はこの日5安打に終わった打線だ。ここでの敗戦は痛恨だが、とはいえ、昌平のここまでの勝ち上がり方は見事であった。
新チーム結成時から吉野が目立つ存在であり、徹底マークを受けてきた。それでも福地や古賀など前後を打つ打者が育ち昨秋は優勝、今春もベスト4へ進出した。今大会も吉野が腰の怪我などで4、5割の出来ながら全員で接戦を物にし、決勝まで勝ち上がってきた。黒坂監督もそんなチームの成長に目を細めていた。幸い新チームには今大会主戦として夏を経験した2年生投手が多い。秋以降の昌平にも注視したい。
一方の浦和学院は、この試合で言うと今大会不調であったリードオフマン吉田匠が、準決勝後の2日間で調整し最後の試合に3ラン、タイムリー三塁打、二塁打という大爆発を起こし勢いに乗った。
何にせよ今大会はとにかく初戦であろう。初戦の独特な緊張感がある中で聖望学園に一時リードを許しながらも逆転し一気にコールド勝ちし良い形で大会に入れた。走塁の意識が高く高品質な投球ができる強打の野手を数多く擁し、宮城が不調でも全員の継投で頂点まで登り詰めた。[stadium]甲子園[/stadium]ではエース宮城の復活を期待しつつ、勇退を表明した森監督へ悲願の夏の優勝旗を。
「(退任については)ある程度雰囲気で感じていた。今まで色々なものをいただいたので[stadium]甲子園[/stadium]でそれを返す」(吉田瑞)
と、選手達のモチベーションは高い。
最後に今大会は昨年の代替大会と違い、コロナ禍の中で観客を入れ行われた。そんな中、感染対策を徹底し無事に最後まで大会が行うべく、ご尽力いただいた埼玉高野連の方々にまずは敬意を表したい。また、今大会は昌平や西武文理、大宮北などマネージャーや控え部員が中心となり配球傾向などのチャートを作る、高校野球分析のICT化が進んだ年とも言える。
そして、今大会は春季大会後も続くまん延防止等重点措置の影響もあり、練習試合や練習時間が制限され、どのチームも少ない準備期間の中、今大会へ臨んだ。つまり、どのチームも例年のような仕上がりで今大会に臨めず、何かに特化した練習で今大会に臨まざるを得なかった。そのため、例えば栄北や埼玉川口などは打撃に特化したチームを作り、細田学園は機動力を強化、春日部共栄などは守備力を上げることに総力を注いだ。
6連覇を目指した優勝候補・花咲徳栄も夏の経験値の部分を敗因として挙げていたが、どのチームにもコロナの影響はあった。浦和学院も冬場のクラスターの影響で6週間チーム作りが遅れた。それでも、最後に勝ったのは浦和学院の[stadium]甲子園[/stadium]に対する執着心であった。
浦和学院に限らず、おそらく全国的にこれまでの[stadium]甲子園[/stadium]大会では考えられないようなことが起こるかもしれない。それでも、彼らを責めないでほしい。全選手が今できる精いっぱいのことを一生懸命表現している。今年の夏は温かく見守ってほしい。昨年は[stadium]甲子園[/stadium]大会すら行えなかったのだから。
(文=南 英博)
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