豊橋中央vs時習館
好左腕の投げ合いは、延長10回タイブレークの末に豊橋中央が制す
本塁打を放ってベンチ―向かう豊橋中央・仲谷君
歴史を辿れば江戸時代中期の1752(宝暦2)年に設立された吉田藩の藩校の歴史を継承している県を代表するというか、全国を代表する伝統校の一つといってもいい存在の時習館。創部も1899(明治34)年という歴史を背負っている。
これに対する豊橋中央は、豊橋女子時代からバレーボール部は強豪で全国大会出場の実績もある。野球部は近年躍進著しい東三河の新鋭校だ。昨秋は、惜しくも東海大会進出は逃したものの県大会ベスト4まで進出している。萩本将光監督としては、準々決勝で中京大中京時代の恩師大藤敏行監督率いる享栄に競り勝ってのベスト4進出ということでも意味があった。チームとしては、その後の全三河大会では同じ豊橋市内のライバル桜丘を下すなどして優勝を果たして力のあるところを示している。
1回戦では、東三河ブロック注目のカードといってもいいであろう。時習館は河合君、豊橋中央は昨秋も実績のある大羽君という両左腕の先発。小気味のいい投げ合いの展開となった。
2回に豊橋中央は5番仲谷君が左翼へソロホーマーを放って先制する。
しかし、時習館はすぐに反撃。3回は1番からの好打順で失策とバント、牧原君の中前打で一死一三塁とする。ここで、大羽投手に暴投が出てあっさりと同点。さらに、二死二塁から5番石田君が左前打して二塁走者の牧原君が逆転のホームインとなった。時習館は、ベンチからの声も元気良く響いていた。
3回に二死二三塁を逃した豊橋中央。4回も併殺、5回も無死で先頭の布施君が安打して出たがバント内野ゴロで三塁まで進めながらもあと一本が出ない。それでも6回、2番近藤君が中前打で出ると死球と右飛などで二死一三塁としたところで、三走近藤君と一走星野君がディレードスチールを仕掛けてこれが成功。豊橋中央は何とか同点に追いついた。萩本監督も「こういう点の取り方も狙っていた」と、打てない時には何とか点を取りに行くということで練習してきた成果を喜んだ。
同点となったが、その後も両左腕の投げ合いは続いていく。
時習館は8回に一死満塁と攻めたものの、ここは大羽君がよく踏ん張った。9回も時習館は先頭の重松君が左前打で出ると安田君のバントが安打になるなどもあって、一死一二塁から二死満塁まで迫ったものの、またまた大羽君が踏ん張って、時習館はリードする好機を生かし切れなかった。
その裏。豊橋中央も、四球と失策で一死一三塁まで攻めたが、今度は時習館の河合君も踏ん張った。
こうして試合は大会規定のタイブレークへと進んでいった。
ピンチに集まって対策を練る豊橋中央
10回。時習館は8番からの打順で、バントで二三塁までは進められたものの、結局ここも大羽君の気迫の投球に後略しきれなかった。そしてその裏、1番からの豊橋中央は、小倉君のバントが三塁線内野安打となって満塁。2番近藤君の一打は左中間を破りサヨナラで決着がついた。
終わってみれば、地力のある豊橋中央が何とかねじ伏せたという感じになったが、萩本監督は、「夏の時習館は、警戒せんといかんということはずっと言ってきました。いつも(の夏)とは少し違う試合の入りでしたが、大羽は気持ちの入ったいい投球をしてくれました」と大羽君の気迫の投球を評価していた。
今年で12年目、この夏で監督を退くこととしている時習館の林哲也監督は、「いいゲームをしてくれたと思います。接戦を戦って最後は勝つというのがうちの野球なんですが、勝つことは出来ませんでした。だけど、本当にウチらしいいい試合だったと思います。惜しむらくは8回、9回あと一本がほしいというところで相手投手の高めにつられてしまったところですね」
残念そうではあったが、それでも、持ち味は十分に出し切れたという満足感はあったように感じられた。負けても時習館は、伝統の好チームという印象は十分に残してくれる戦いぶりだった。
(取材=手束 仁)