藤井vs尽誠学園
「中西太メソッド」発揮の藤井、2年前の代表・尽誠学園を破る!
試合前、85歳とは思えないオーバースローから始球式のボールを投じた「怪童」中西 太さん。その様子を藤井・青山 剛監督は感慨深げに見つめていた。それもそのはず。実は青山監督と中西さんの遭遇はこれがはじめてではない。指導者を志し勉強を重ねていた2002年12月・中西 太さんのベースボールクリニックに足を運んだ青山青年は、中西さんから壇上で直々にバッティング指導を受ける機会に恵まれた。
高校時代から書き始め、現在まで175冊に至っている「野球ノート」の16冊目には中西メソッドの数々に混じって当時の感想が「中西太のでかさを感じた」と記されている。
そしてこの一戦、藤井は当時・青山監督が中西さんから学んだ「できる事の追求を」を体現すべく2年前の代表校・尽誠学園と堂々と渡り合う。最速142キロ右サイド・山上 達貴(3年・170センチ67キロ・右投左打・丸亀市立南中出身)は最速140キロ・常時130キロ後半のストレートと120キロ台のシンカーとスライダー、110キロ台のカーブを効果的に織り交ぜて126球を投げて散発9安打5四死球2奪三振1失点。
特に1対1で迎えた8回表二死二塁、ここまで3打数3安打1死球と1年生の域を超えた活躍をしていた尽誠学園1番・仲村 光陽(三塁手・右投右打・177センチ71キロ・名古屋アスリートクラブヤング<愛知>出身)を外角いっぱい137キロストレートで見逃し三振に奪った場面や、勝ち越し後の9回表無死満塁のピンチを背負っても二直併殺・遊ゴロで勝ち切った2イニングでのあふれ出る気迫は圧巻だった。
藤井は打線も効果的に得点を重ねた。3回表には死球・犠打で得た一死二塁から1番・田村 海人(2年・左翼手・右投右打・162センチ63キロ・丸亀市立西中出身)の中前打で先制。
1対1で迎えた8回裏も先頭打者の4番・宮下 嘉偉(3年・捕手・185センチ85キロ・右投右打・坂出市立白峰中出身)が放った中前打をきっかけにつかんだ二死一・三塁から7番・嵯峨 一矢(2年・遊撃手・167センチ67キロ・右投右打・善通寺市立西中出身)が中西さん講演のノート記述を引用すれば「ひざをうまく使って」決勝中犠飛。16年近くの歳月を経て青山監督が中西さんに果たした「恩返し」は、尽誠学園撃破という最高の形で果たされた。
(レポート=寺下 友徳)