豊橋工高校vs 小坂井高校vs吉良高校
対外試合解禁!21世紀枠出場・豊橋工のエース・森復調など多くの手応えを掴む
順調な仕上がりを見せた森奎真投手(豊橋工)
2015年のシーズンも、いよいよこの日から本格スタートだ。練習試合も解禁となった。
前日の雨が思いのほか多く降ったということもあって、グラウンドには砂入れ作業をして、予定よりも1時間ほど遅れての試合開始となった。
21世紀枠代表校としてセンバツ出場を決めている豊橋工の解禁初日の試合である。選手たちも、2週間後に迫ってきた甲子園での本番へ向けて、どれだけの調整が出来ているのか、試したいところである。
1月23日に代表に選ばれて以降は、センバツを見据えて新たな課題にも取り組んできた。
「ウチは森が投げなかったら、どこにでもあるような、まったく普通のチームですから…」と言う林泰盛監督だが、だからこそチームの底上げはどうしても必要となってくる。とくに、下位打線がどれだけ打てるのかというとこは、どんな戦い方ができるのかということにもつながっていく。
豊橋工の注目の投手・森奎真君は、昨秋の疲労などもあってまだ本格的には投げ込まないで、この日の練習試合でも40球目安として投げる予定にしていた。立ち上がりに少し制球に苦しんだということもあって、結局3イニングで降板したが、走者を出しても、その後を抑えきるのはさすがだった。三番颯田君には右越二塁打されたものの、要所はぴしゃりと締めて4奪三振。まずまずの仕上がりぶりと言っていいだろう。
もっとも、試合は2番手・森 雅晴君の制球がやや乱れたところに乗じた吉良が、颯田君の二塁打で逆転し、7回にも下位の手嶋君の左前打でさらに追加点を挙げた。
豊橋工は、8回に追い上げたが3番江川君の犠牲フライにとどまった。
吉良は「エースで4番に置いておいても、物おじしないタイプなので、下級生ですけれども任せてあります」と、田川誠監督も全幅の信頼を置く加藤 文一君が、甲子園出発前の豊橋工に対して堂々の投球でシーズン早々ながら完投した。加藤君は、身体もしっかりとできており、力強い印象である。素材としても、まだまだパワーもつけていかれそうな感じで大いに楽しみだ。
師弟関係同士の豊橋工・林監督と小坂井・近藤監督
吉良は、小坂井との試合でも池田君から左腕高橋君とつないで、小坂井打線を完封した。多少の乱れはあったものの、守りもしっかりとしており、オフの間にもきちんと練習をしてきていたのだなということを感じさせるものだった。吉良は3回、4番中村君と黒野君の連続タイムリー打で2点を先取し、6回にも加藤柊君の左前打で二者を返している。7回も満塁で亀井君がタイムリーを放っているが、好機にきちっとタイムリーが出るあたりの勝負強さもあった。
小坂井の近藤至彦監督は、林泰盛監督の前に豊橋工で監督を務めていた。また、その前の時習館では林監督が教え子としていた。そういう関係もあり、今回の豊橋工の甲子園出場をことのほか喜んでいる一人である。この日の試合でも、いくらかグラウンド整備で試合開始が遅れたが、豊橋工のためにシートノック時間を設けるなど様々な配慮もしていた。
今回の豊橋工の甲子園出場は、近藤監督にとっては前任校と教え子の甲子園出場ということになった。まだ環境も整いきれていなかった豊橋工では苦労をしたこともあったようだが、「何も辛いことはありませんよ。こんな楽しいことを仕事としてさせて戴いて、教員としてはこんな幸せはありませんから」と、野球を通じて生徒を育てていくことに喜びを感じている人でもある。
この日は、2試合15イニングで無得点と、チームとしては調整途中というか、「まだまだ、これからのチームなんですよ」と言うように、課題は多く抱えているようだ。それでも、現状で何ができるのかということに対してはトライしていこうという姿勢は窺えた。
豊橋工としては、センバツだけではなく夏を見据えていく上では森奎真君に続く投手がどうしても必要となってくるのだろうが、その一番手として林監督が期待している榎本 将吾君が第3試合に先発し、6回を2安打無失点と押さえた。初回の立ち上がりに、いきなり先頭の村田君に頭部死球を当ててしまいヒヤッとしたものの、小坂井ベンチから近藤監督が、「榎本!(村田君は)大丈夫だから…(安心しろ!)」と声がかかり励まされて、安堵したこともあったであろう。昨秋は、愛工大名電の強力打線に打ち込まれて大量失点してしまったが、この日の好投は自信にはなったのではないだろうか。
豊橋工は、3回には4番の彦坂 拓真君の一発も飛び出すなど、この試合では課題の打線が活発に打って、センバツへ向けて勢いをつけることはできたであろう。甲子園へ出発までは豊橋市の協力などで、[stadium]豊橋市民球場[/stadium]や[stadium]豊橋球場[/stadium]を優先的に使用させてもらえるようになっており、このあたりも朝の清掃など、地道な地域貢献の成果があったとも言えよう。
(文=手束 仁)