佐久長聖vs東海大甲府
「選手育成型指揮官」対決制したのは、一瞬を先んじた佐久長聖!
競技を問わず、スポーツにおける指揮官の傾向は2種類に大別される。
1つはチームの勝利を求め、栄誉を得ることによって、選手たちをも育てていくタイプ。スポーツが勝敗を決めるものである以上、この考え方はしごく真っ当なものだ。仮にこのタイプを「チーム育成型指揮官」と呼んでみよう。
もう1つのタイプは、まずは選手個々の力を熟成し、それを融合させることでチーム力を引き上げるタイプ。これを「選手育成型指揮官」と称してみる。
その分類に倣えば、この一戦は間違いなく「選手育成型指揮官」対決と言える。
まず、現役時代は巨人・原 辰徳監督と共に、甲子園で一時代を築いた東海大甲府・村中 秀人監督は母校・東海大相模(神奈川)を指揮した11年間で森野 将彦(中日)をはじめ4選手のNPBに輩出し、1992年にはセンバツ準優勝。
さらに東海大甲府では村中 恭兵(東京ヤクルト)、高橋 周平(中日)、渡邉 諒(北海道日本ハム)と3名のドラフト1位指名選手を生み出し、東海大相模時代に果たせなかった夏の甲子園出場3回中で2度のベスト4(2004年・2012年)。
自身4度目の出場となる今大会もプロ注目のキャプテン・望月 大貴(3年・中堅手・右投左打・179センチ80キロ・南部町立南部中出身)を柱に3年生14名・2年生2名・1年生2名の選手構成で聖地へ乗り込んできてきた。
一方、佐久長聖監督就任3年目を迎える藤原 弘介監督も2002年4月から6年半にわたり母校・PL学園を指揮。
この間、広島のみならず日本の大黒柱である前田 健太や剛球右腕・冨田 康祐(横浜DeNA)、小窪 哲也(広島)、緒方凌介(阪神)らのベースを築き、2006年センバツではその前田をエースにベスト4へと進出している。
このように後のステージにつながる選手を育てつつ、チーム力を押し上げる点では日本高校野球界屈指ともいえる両監督の公式戦初対戦。
よって試合は互いのスタイルを認識した後は、一瞬のスキを付き合う心理戦へと姿を変えていった。
その中で先んじたのは佐久長聖である。
4回裏二死から5番・竹内 広成(左翼手・3年・右投右打・175センチ75キロ・佐久リトルシニア出身)が放った大会第10号先制ソロは、直前の併殺成功により、東海大甲府・高橋 直也(投手・3年・左投左打・174センチ71キロ・品川区立荏原第五中<東京>卒)の気持ちが僅かにボールの上ずりを生んだところを見事に引っ張り込んだもの。6回裏・竹内が放った勝ち越し打も、8回に死球押し出しで得た追加点も、この「一瞬」でつかんだ流れが続いていたからこそである。
対する東海大甲府も抵抗は試みた。
5回表・バスターエンドランを使ってつかんだ一死二塁のチャンスで7番・五十嵐 誉(2年・遊撃手・右投右打・173センチ68キロ・東京足立ボーイズ出身)が左前に同点打。高橋も8回途中まで粘り強く投げた。
しかし佐久長聖ディフェンスの堅さと集中力は東海大甲府のタレント力も凌駕した。
先発の寺沢 星耶(3年・左投右打・178センチ77キロ・高森町立高森中出身)は南信州K-CLUBでKボール全国中学校秋季大会に出場した経験を糧に、最速140キロのストレートと、インコースから沈む変化球を駆使して6回をわずか71球5安打無四球1失点の好投。
7回からリリーフに立った両角 優(3年・右投右打・183センチ80キロ・佐久市立東中出身)も、3四死球と制球力に課題を残しながらも、要所で角度のある重いストレートと、スプリットのコンビネーションが効いて5奪三振。
東海大学陸上部駅伝監督・両角 速(もろずみ・はやし)を父に持つ勝負勘のよさを見せ付ける。
山梨大会では終盤の集中打で勝ち上がってきた東海大甲府は、皮肉にも6回以降、1本の安打も放つことができなかった。
こうして佐久長聖に凱歌が上がった今回の一戦だが、この続きを見たいと思ったのは筆者だけではないはずだ。次の戦いはお互いが成長し、また新たなメンバーで。もしその日が訪れたのであれば、両者がよさを出し合い、一瞬を突き合う深みを再び味わいたいと思う。
(文:寺下 友徳)