沖縄尚学vs美里工
シード校の意地!沖縄尚学が8年ぶり7度目の優勝
時を遡ること5年前。
春の選抜で東浜巨(亜細亜大ーソフトバンク)らの活躍により二度目の全国制覇を成し遂げた沖縄尚学。
当然のことながら、その年の夏も優勝の最右翼であり順当に決勝へコマを進めた。ところが初回、頼みの綱の東浜が浦添商打線に掴まりまさかの5失点を喫し、その重くのしかかったビハインドを返せず2-5で敗れてしまう。
選抜優勝校の予選敗退という衝撃波は、その後の沖縄尚学にも暗い影を落とし2009年よもやの一回戦敗退、2010年は三回戦延長の末敗れ、2011年は準決勝で惜敗、そして昨年は決勝進出も満塁からのセカンドゴロタイムリーエラーとなり、甲子園の切符が手からスルリと抜け落ちる。まさに沖縄尚学にとって、あの日からの夏の雨雲がずっと降り続けているかのようであった。
5年越しのリベンジへ!電光石火の先制点
そして迎えたこの日、決勝の相手は美里工。
そう、2008年当時の浦添商を率いていたのが神谷嘉宗監督。長い間、音沙汰の無かった美里工を見事に立て直し19年振り2度目の決勝へと導いた希代の知将が、若大将比嘉公也監督と沖縄尚学の前に再び立ちはだかったのだ。”名前は違えど神谷先生が作り上げたチーム。油断は出来ない”。試合前の比嘉監督はそう思っていたことだろう。
試合は初回、沖縄尚学先発の比嘉健一朗が三者凡退の好スタートを切ればその裏、やはりこの男が口火を切る!主将諸見里匠が右中間を切り裂く三塁打を放つと、続く知念佑哉が2球目をレフト前に運びあっという間の先制劇。さらに盗塁と犠飛で三塁へ進むと、柴引佑真がセンターへキッチリと上げ2点を先取した。
しかしこれまで数々の強豪を下してきた美里工も3回、ニ死二塁から島袋優がライト前へタイムリーを放ち1点差に詰め寄る。
だが沖縄尚学もその裏、知念のヒットを足がかりに一死ニ塁から柴引が同じようにセンターへ。三塁へタッチアップした知念だったが、中継が乱れると間髪いれずホームへ。100m11秒前半の俊足で見事生還した。
美里工の反撃を抑えた宇良淳と4安打の知念佑哉
前半を3-1でターンした沖縄尚学は、6回裏に打席が回ってくることもあって比嘉健一朗をそのままマウンドへ。ところがこれが冷や汗を覚えることとなる。
一死から四球の走者を置いて、前日ランニングホームランを記録している高江洲大夢がライト前へ。これを赤嶺謙がこぼす間に三塁へ向かっていた走者が一気にホームを狙う。しかしここは沖縄尚学守備陣が冷静に中継しタッチアウト。だが次打者もライト線よりに落とすと、與那嶺翔がみたびライトへ。止まらない三連打で、”逆転の美里工“が、この決勝でもその顔を持ち上げようとしていた。
そんな悪い流れを切ろうと、沖縄尚学ベンチは右のエースをマウンドへ送る。
宇良淳は見事期待に応え長嶺を三振に斬ると、その裏平良勇貴の二塁打から一死三塁とし、打席の宇良が意表をつくスクイズ!取られた直後に点を取り返す”強さ”を見せた沖縄尚学が、7回にも1点を加えてリードを広げる。
打っては秋に打率4割を誇っていた安打製造機の知念がこの日4安打をマークし復活すれば、投げては宇良が9回も美里工打線を寄せ付けず三者凡退に斬り、2005年以来となる8年振り6度目の選手権県大会優勝を果たした。夏の甲子園出場は初となる比嘉監督。5年前のリベンジを果たしたこの日、監督とナインを祝福するかのような燦々と輝く太陽と、どこまでも続く青空が広がっていた。
(文=當山雅通)
沖縄尚学 | TEAM | 美里工 | ||
守備位置 | 氏名 | 打順 | 守備位置 | 氏名 |
遊撃 | 諸見里 匠 | 1番 | 中堅 | 神田大輝 |
中堅 | 知念佑哉 | 2番 | 遊撃 | 西蔵當 祥 |
左翼 | 名嘉昇司 | 3番 | 左翼 | 島袋 優 |
一塁 | 柴引佑真 | 4番 | 一塁 | 宮城諒太 |
右翼 | 赤嶺 謙 | 5番 | 三塁 | 高江洲大夢 |
二塁 | 平良勇貴 | 6番 | 捕手 | 與那嶺 翔 |
三塁 | 久保柊人 | 7番 | 右翼 | 松堂 正 |
投手 | 比嘉健一朗 | 8番 | 投手 | 大仲 潤 |
捕手 | 具志堅秀樹 | 9番 | 二塁 | 内間幹也 |