沖縄尚学vs中部商
帰ってきた頼れる主将の一打で乗った沖縄尚学が快勝!
最後の夏の初戦、沖縄尚学の先発オーダーに主将・諸見里匠の名前は無かった。
抽選会(6月11日)の前日、守備練習で右手首を痛め、医者に見せたところ骨折していることが判明していた。だが選手権が始まるのは22日、チームの出番が30日と日数が空いたことや、初戦の相手・美来工科は秋春と未勝利ということもあって、諸見里が無理して出る必要が無かったことなどが幸いした。
ケガから約一ヶ月後となる、強豪・中部商との七夕決戦が開幕なんだと、焦らず自分に言い聞かせてきたことだろう。そして医者の口から出た言葉は「大丈夫」。
念には念を入れて手首にテーピングを巻いた諸見里は甲子園で座った4番ではなく、前チームからの慣れ親しんだ1番として打席へ向かった。
試合開始のサイレンがまだ鳴り止まない初球。肩口から入ってきたスライダーを振り抜くと、打球は左中間を割る二塁打。ケガ明けにも関わらず、戦う姿勢を強烈に見せた主将の一打に沖縄尚学ナインも奮い立った。それほどに大きな大きな一打であった。
甲子園の借りは甲子園でしか返せない
大会前に諸見里が言った「甲子園の借りは甲子園でしか返せない」の言葉は、沖縄尚学ナイン全ての代弁でもある。憧れの聖地で何も出来なかった悔しさを噛み締めてきたナインは、更に強く雄々しくなっていた。
3回、諸見里が死球で出塁すると犠打とショートゴロの間に三塁へ。そして4番柴引佑真が4球目をセンターへ弾き返し先制点を挙げた。
その裏、中部商も新垣宏太郎の二塁打と犠打で一死三塁として、知念翔大がセンター前に運び同点とした。
だが沖縄尚学は直後の4回、相手のエラーと二つの四死球で一死満塁のチャンスをもらうと、諸見里が引っ張った打球はサードへ。しかしサードがこれを抑えることが出来ず再び1点をリードすると、知念佑哉が外のストレートに逆らわずレフトへ持っていく。走者一層の3点タイムリー二塁打となった。さらにその後1点を加え、このイニングだけで打者10人を送り試合を決定づける5点を奪った。
6回にも一死から知念が三塁打を放ち、3、4番がボールを見極めて四球で満塁とすると、平良勇貴がセンターへ抜けようかというゴロを打つ。何とかグラブに当ててセンター前に転がることを阻止したセカンドだったが、二死ということもありその間に二者が生還した。
海の側にあり、風が舞うことで知られる[stadium]宜野湾球場[/stadium]では低く強いゴロを打つことが勝利へのカギ。そういう意味でも先制打の柴引とダメ押し点を生み出した平良のバッティングは、甲子園球児の名に恥じないものでもあった。
先発の比嘉健一朗は、二本のヒットで同点とされた3回までに50球を要するなど、好調とは言えない内容だったが、4回からは別人のように変わる。8回までの5イニングで57球、被安打ゼロ、許した走者もエラーと死球のみ。緩い球を上手く使って、8つのフライアウトを記録した。6点差がある最終回こそストレートで勝負しにいった結果、二本のヒットと自らのワイルドピッチなどでニ死二、三塁とされ、比嘉俊平にライトへ2点タイムリーを浴びることとなったが、これも反省材料として持ち帰り次へ繋げることだろう。
敗れた中部商は、大会前の練習試合で沖縄尚学から6点を奪った自慢の打線が不発。頼みの亀川盛斗が、沖縄尚学バッテリーに完全マークに遭いノーヒットだったことや、4回に三つの四死球を出すなど突如制球を乱した先発の津波古励也(れいや)など、沖縄を代表する好選手たちが不完全燃焼で終わってしまった夏となった。
(文=當山雅通)
沖縄尚学 | TEAM | 中部商 | ||
守備位置 | 氏名 | 打順 | 守備位置 | 氏名 |
---|---|---|---|---|
遊撃 | 諸見里 匠 | 1番 | 三塁 | 知念翔大 |
中堅 | 知念佑哉 | 2番 | 二塁 | 井上翔道 |
左翼 | 名嘉昇司 | 3番 | 遊撃 | 備瀬稜也 |
一塁 | 柴引佑真 | 4番 | 右翼 | 亀川盛斗 |
右翼 | 當銘正孝 | 5番 | 一塁 | 小浜源太 |
二塁 | 平良勇貴 | 6番 | 左翼 | 金城純平 |
三塁 | 安里 健 | 7番 | 中堅 | 比嘉俊平 |
投手 | 比嘉健一朗 | 8番 | 捕手 | 新垣宏太郎 |
捕手 | 具志堅秀樹 | 9番 | 投手 | 津波古励也 |